看取り(2/3)
吉岡ペペロ

眠りから覚めてしばらくのあいだ、ぼくは不安なことのない世界にいられた。息子と公園で遊んでからぼくは家で仮眠をとった。
夕方のひかりがベランダから射している。掛け布団のおもてがすこしひんやりしている。
きょうは死なないで、ぼくはそう思ってもう不安のない世界が終わってしまったのに気づいた。
ピンク色に黄ばんだ夕方の道を息子と歩いてバス停に向かう。
夕方の道を看取りのために歩くようになってから、ぼくはその道中ずっと願わずにはおれなかった。看取りという仕事には、喜びというものがまったくなかった。
きょうは死なないで、誰も死なないで、話しかけてくる息子に勘で受け答えしながらぼくはそのことばかり考えていた。
バスの座席は小さすぎて低すぎて、ぼくはいつも立っていた。息子は座って目を閉じている。
ぼくは彼を見つめてため息を吐いている。
ぼくは選択を間違った。看取りなんてするんじゃなかった。次の停留所のアナウンスが聞こえて停まりますのランプが点灯した。
車窓にあたまをつけている息子の肩を揺らす。静かに思い出すような目をして息子が目を覚ます。ぼくはその顔に微笑みかけた。息子もしばらくのあいだ不安から、解放されているのだろうか。

息子は仮眠室で眠っている。今夜は杉下さんのいる107号室がぼくの居場所だ。居場所なんて言い方はおかしいのかも知れない。
ぼくの母国語は母国でも少数しか使わない言語だった。
母国にはたくさんの言語がある。日本のように関西弁とかそういう言葉の違いではない。まるっきり違うのだ。まるっきり違う言葉がたくさんあるのだ。
ぼくらのほんとうの祖国は言語のなかにある。祖国と他国の国境線なんてものは地形とはまったく関係なく引かれた直線だ。強国が引いたたんなる線だ。
ぼくは杉下さんのベッドのよこでパイプ椅子に腰掛けている。
ぼくの母国語でミトリとは居場所という意味だった。ぼくの日本での居場所がここだと思うといつも茫然とした。
看取りをはじめてニ人の方の最期を看取った。内戦や飢餓がいやでこの国に居着いていたのにこんなところがぼくの居場所だ。家族を裏切った罰かも知れない。ぼくは最近自分を責めることが増えたような気がする。
杉下さん、死なないで、杉下さん、死なないで、ぼくはなんどもなんどもこころのなかで呟きながら彼女の顔のあたりを見つめていた。鼻からでているチューブがすこし白く光っている。川のようだ。布団は荒れたなだらかな山。それを夜が満たしている。星はベッドまわりの計器の明かり。そんな幻を真剣に遊んだ。
杉下さんからたまに音がする。
きょうは、死なないで、杉下さん、死なないで、杉下さん、死なないで、またとり憑かれたようにこころのなかで呟く。
ぼくは顔を振り口を閉じたまま溜息を吐く。唇が音を立てる。そしてまた真剣な遊びを繰り返す。
白くて細い川。細いのは空から見つめているから。なだらかな石ころと草の山。夜。夜はどこだ。どこだっけ。ここだ。ここが夜。カーテンはオーロラ、星は計器の明かり。ぼくは口をすぼめて杉下さんのほうに風を吹かせた。
カーテンで仕切られた病室にはほかにも入居者がいた。それなのに世界にはぼくのこころと杉下さんに訪れる死しかないようだった。



自由詩 看取り(2/3) Copyright 吉岡ペペロ 2015-11-22 01:10:28
notebook Home 戻る