看取り(1/3)
吉岡ペペロ

保育所に息子を迎えに行くと、新しく入所してきたと思われるこどもにじっと見つめられた。ぼくが肌の色のちがう黒人だからだ。
コンビニの明かりに照らされたりしながらぼくは息子と家路をたどる。息子はぼくよりも上手な日本語できょうあった出来事を喋り続けていた。つい職場での聞き方になってしまう自分がいる。
職場でも痴呆のご婦人によく話しかけられる。
「すき焼き食べに来てください」
目があうたびそのおばあさんはそう言う。ぼくは微笑みながらやり過ごす。
「だって、おさるのジョージもアンパンマンも知らないんだよ」息子がテレビを見ないともだちについて喋っている。息子はちいさい手をぼくの三本の指に引っ掛けるようにしてからめている。そうやってぼくたちは家に帰るのだ。
ぼくは老人ホームで便利屋のような職を得た。介護福祉士たちの補助を行うのにぼくの体力は申し分なかった。日本人の妻と四、五年暮らしたおかげで日本語もじゅうぶん使えた。
家に戻るとふたりぶんの夕食をつくった。タイマーで炊いておいたご飯をボウルに入れてそこに卵をふたつ割った。それをかき混ぜ油を敷いたフライパンで押し付けるようにして炒めた。裏返して炒めているあいだに大皿をだし皿にシナモンを振った。皿のうえに茶色いまばらな模様ができる。そこに炒めたものを載せた。
息子とふたりでテレビを見ながらそれを食べた。シナモンの味の濃淡が相変わらず美味しい。息子も何食わぬ顔をして食べている。
家ではテレビに息子をかまわせていた。そうでなければ着替えも洗濯もその取り入れも食事の支度もできなかった。それでもぼくと幼い息子はきっちりと生きている。きっちりと生きているという事実だけがぼくの日々の空白を埋めてくれていた。

「すき焼き食べに来なさいよ、あなたはいつも口だけ、さあいつ来てくださるの」
入居者のご婦人にまた誘われた。ぼくはかがんでこのご婦人に笑顔を返す。ご婦人はもうしかめっつらの真面目な顔になって午前の光のなかに消えてゆく。
ぼくの仕事は介護福祉士たちのサポートだ。少なくとも最初の三ヶ月まではそれだけだった。
それがそうではなくなったのは先月からだ。
ある日リーダーに食堂に呼ばれるとテーブルに紙が一枚と紅茶が置いてあった。
「深夜のお仕事は、昼間の時給の二倍になるわ。あとは、お子さんの面倒をだれが見るのかだけれど」リーダーがガムを噛みながら勢いよく話し始めた。ぼくはひとまず紅茶をひとくち飲んだ。昼餉のまえの湿った空気と紅茶の味が似つかわしくなかった。
食堂ぜんたいに午前の光が射している。この国の太陽はしずかだ。無口だ。だけど微笑んでいる。
祖国のことを思い出すことはもうあまりなかった。だけど祖国の太陽のことはよく思い出す。祖国の太陽からは風が吹いていた。光に圧力が充満していた。だからふと風を受けるような時、ぼくは祖国の太陽を思い出す。
「当直の日は、息子さんもここに泊まればいいわ」
「息子の晩ご飯やお迎えはどうなるんでしょう」リーダーがめんどくさそうな笑顔になった。
「あなたはお子さんと一緒に夕方から出社するのよ」
ぼくの生活がざわめいた。ざわめいて不協和音のようなものが伸びていった。晩ご飯がつくれなくなるなと思った。たしかにお金はもっと稼ぎたい。息子にはここの食事のほうが合うかもな。それよりも深夜の仕事の内容のほうが気になった。
「そのミトリというのは、どういう仕事なんでしょうか」
リーダーが噛んでいたガムをメモ用紙にのせて口元を結んだ。それからぼくをきっと見つめて言った。
「ここに入居されている方の、最期を看取るのよ」
「最期?」
「そう、夜中に亡くなるかも知れない方の、看取りをして貰いたいの」
ぼくの母国語でミトリは最期という意味ではなかった。
食堂には昼餉の香りと湿ったあたたかさが半透明になって漂っていた。リーダーがその仕事の意義を喋っている。顔が熱くなってぼくはその日本語の意味することを理解している自分を知った。
太陽がしずかだ。浅い深呼吸をすると口のなかの紅茶の匂いがそとに広がった。この施設にたゆとう加齢臭よりも若いぼくの匂いだと思った。

息子が帰り支度をするのを見つめながら先生からきょうの息子の様子を聞いていた。お礼を言って先生にぼくは微笑み保育所を出た。
ぼくは笑顔をよくほめられる。あるとき日本人に黒人であることの利点を指摘された。黒い大きな眼と肌と白い歯のコントラストには華があるのだそうだ。
息子のやわらかい手を包んでふたりで家路をたどる。
ぼくは仕事終えてからのふたりの家路が大好きだった。それが週三回看取りをするようになって保育所からの家路がおなじ数だけ減ってしまった。
看取りをするようになってから変わったことがもうひとつあった。考えごとをすることが増えたような気がする。
自分を動かしているのはなんなのだろう。
ぼくは自分を動かしているのはなにかと考えた。息子?使えないやつと思われたくないというプライド?祖国のこと?それはふたをしたままだ。幸福?でもいまのこの看取りという仕事にぼくは喜びを感じることが出来なかった。妻はどうしているのだろう。思考のながれで妻のことを思い出した。
妻は日本人だった。
妻は息子の保育所が決まると突然姿を消した。彼女の荷物が全てなくなっていた。妻の家族のことをぼくは知らなかった。ぼくを見せたくなかったのかも知れない。
ぼく自身もそうだったからそれは仕方のないことだと思っていた。それよりも妻のおかげでぼくは日本で働けている。彼女はぼくに息子までくれた。ほんとうにそう思っている。
祖国の家族たちはぼくが日本の病院で働いていると喜んでいた。でも老人ホームは病院ではない。息子がいることも知らない。
道先の郵便ポストが外灯に照らされていた。
「お父さん、あしたはミトリの日だね」息子がぼくの指をいっぽんにぎって揺らした。
「あした、公園に連れてってよ」
ぼくの指をいっぽん揺らすとき、彼は普段の我慢を口にする。



自由詩 看取り(1/3) Copyright 吉岡ペペロ 2015-11-22 01:08:18
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