さよなら青から
水町綜助
ぐるり50センチほどの脳裏にある
あの日の、その場所に
もう行くことができない
がらんと口を開けた
灰色の校舎の入り口に立ちすくみ
背中からは夏の午後の日差しが
人の形を
ひびたコンクリートに切り抜く
入り口の奥から
息をのみ
白目だけをひからせて立つ自分の
やけにつめたい瞳の黒を、
白目だけを見ることで
逆説的に見ている
校舎を両脇から覆い隠すように
おい繁る深い緑の鬱蒼に
相反してさざめく木の葉が壁面に落とした
まだらな影の涼しい残滓が
ゆれながら空気に流れていく
空洞のなかには
いくつも穴を開けたベニヤ
その端々はささくれ
乱暴に塗りたくられた油絵具、
光をバケツいっぱいにかけられて
割れた石膏像の深い影と
もうとんでしまった白い肌理
さざめく残滓にかすれながら立つ
うしろすがたの白い旋毛と
黒髪に流れる燐光のつぶを
木の葉の陰からまた見ている
ひとつ、またひとつ落ちる20才
髪の毛の流れ、その持ち上げられかた
風の吹きかた、束とその先端のこと
すべて克明に焼き付くのに
まだ、そこに立ったこともないモノクロ
※
おなじ夏休みに
※
夏、鳥羽の海に家族旅行に出かけた
休暇園の前の砂浜に陣取って
赤と青と白と黄の敷物をしいて
パラソルをたてて
そこにすわる人と防風林の松の木との遠近感
なぜ海に入らないのか
それでどうしてわらっているのか
わからなかった海の上で
わからなくてみていたら
後ろから波をかぶった
貝殻に耳を押し付けたときの深海の音と
ふくれあがって空へ向かおうとする気泡の音
ぎゅっと目をつむる子どもの暗闇に
たしかにそこに浮かんでいたフルカラー
※
春が、来る前に、失われています
めずらしくあたたかな冬の日は
まだ、春ではありませんでした
※
もう帰るの
あくしゅ
しよう
またきてね
こまってること
ない?
ほんとに
こまってること
ないの
のぞき込む顔は
どうしてしずかにすこし不安で
見つめ返す顔は
どうしていつも憮然としていた?
その日またのぞき込んで
二、三度うなずきだけをして
めずらしく窓の外に
すぐ視線を遣った
しんとした部屋に冷蔵庫の音だけが聞こえて
椅子に座った男はまた、憮然としていた
※
仕事と言って部屋を出た夕方 清々しいと感じた冷たさを 慣れと取り違えた
※
家に帰らなかった 月がみえる
※
市ヶ谷の坂をのぼる ちょっとした失敗
※
眠る 音が消えていること 音にきづかないこと ぴたりとかさなるふたつの同じこと
※※※
くちを開けていた
あごを動かして息をして
その間隔は長かった
片目は半眼だった、
もう片ほうは開かれ、
瞳の膜はうっすら白く濁り
窓の外の青色をざらざらと映していた
連続する音が点滅する
まだあたたかな手をすこし離し
席を立ちながら窓の外を見ると
よく晴れた街の中、
東へと直線に走っていく
白い電車がみえた
縦横に伸びる道路には
車や原付が走ったり停まったり、
信号が青から赤に変わり
ここと地面とのあいだ
水中ではたくさんの鳩が波を打っていた
電光掲示板にニュースが流れたり
太陽のマークと今何℃なのか?をあらわしたり
そして眼下のスーパーマーケットには
たくさん人が出入りしている
ビルの屋上にある幾つもの室外機は
風にゆっくりとファンを回し、
その階下の窓の中には、
青い廊下を歩く人の黒い影
この開きつづけている濁った目は、
もうこわれているんだろう
そうぼんやり思って
それははっきりと終わりを教えた
※
とても長いクラクション
※
もうその部屋にいくことはない
戻れない場所が
いくつも増えて
たまにそこを思いだす
きらきらしてる
たとえば故郷に帰った4年間
その前、逢わなかった7年間
少し色合いを変えた4年間
それが思い出というんだよ、と
教えてくれるひとがそばにいた
そこにはもうひとりいたから
戻れない思い出をいくつもつくることが
生きていくことなのかな
まだ手が届くと思っていたものは
それからたった3日で永遠の中に汲みとられた
まるっきり白くて
海のなかで洗われる貝がらのようだ
その海と、ぼくが歩く海岸はまだ
何回も波におかされ、打ち返しながらも
白い境界を夜のうちに消すことをしない
とても、晴れているから
ただ、色はにていて
青色をしている
こちらは澄んだ水のような青だよ
そちらは深い空のような青にみえるね
澄んだこちらの青よりか
さみしい感じが消えたからもう
よかったじゃない
たぶん想像だけど、
もう痛くない
ぼくはとてもあなたのこと、
大好きでしたから
謝りはしませんよ
それでいいかはわからないけど
もう聞こえませんからね
ただお礼と、約束をして
夏のパラソルの下で
日陰にすわるあなたを見ながら
海でおぼれたあのとき飲み込んだ
涙はたまにでた