夜行ヘリ/やけのはら
茶殻
お前の夢は金で買えるのか?
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巷の給料日に合わせて、あのアイドルがついに脱ぐ!、とのことで
日ごろサンプルを眺めるに留めていたダウンロードショップでつい手が伸びる。
隣のパッケージは叶恭子の体に引田天功の化粧をのっけたような網タイツの女。
〈あなたは18歳以上ですか?〉
そんなこと聞いてくれるのあんただけだよ、酒も煙草もやんないし。
徒費はライフラインから浮いた分、
リビドーよりも好奇心にそそのかされた物欲に従って。
おおよそ私はこういう性分。
一切れ二切れの生姜をつまみたいがためにスーパーでいなり寿司を買い、
学生時代のミックスジュースを追懐して漫画喫茶へ、
ショートフィルムよりチープな芝居を観劇するためにヒトリカラオケ、
先週はペットコーナーの新設されたホームセンターをぐるりと回り、
盆栽キットをひとつ買ってはみたけれどすでに日向で干からびているよ。
そのくせときに旅愁を求める衝動に振れて
初乗り切符であてもなく在来線を乗り継ぎすべて煩いを振り払おうとも
まだ日が残るうちに最寄駅までの路線図を頭で辿り
ポケットに潜む製氷皿のようなアパートの鍵が気にかかる職蜂の性根が覗かせて。
長い長い腸の中を歩く感覚は拭えない。
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実家から送られてきた入浴剤を溶かして
乳白色の浴槽は重湯のように肉体を労わる
定住したくなるほどの大きな贅沢は私にはもはや毒だ
昨日観た夢を忘れることのたやすさに救われて
奈落の奈落は覗き込まれるに至らない
たらふく沈黙を抱えていればやがて孤独は蠱毒に変わるのだと、
歯ブラシにえずいて吐き出して吐き出して。
下水の辿りつく無量の痰壺はみかじめによって洗われて洗われて。
口ずさむ歌がある限り僕はいつでも自由だ。
金は払うよ、いいさそれで自由なら。
東京の空を飛ぼう、明日にでも。
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絹の乳房が波を打つ、
薄化粧の肌が紅炎に燃える、
深い皺が歪むほどにシーツが握られる、
わずかに跳ねる柳腰、
彼女は強く目を閉じ暗闇を祈る、
その扇情にやがて劣情とは違う情が炙り出される、
彼女の整った歯並びからこぼれる甘い嬌声は
ヘッドフォンの至近距離で囁く、
応じて、履き古しのボクサーパンツは雄の臭気と湿度を篭らせる、
けれど父性と呼ぶべきものか、
何に対する憐憫だというのか、
水も差さずに萌芽したフェミニズムと汎愛は
陽炎のなか立ち尽くす戦災孤児の幻像をも連想させる、
思わぬ情念の発露、未知の自我にたじろぐ、
勢いのままに駆け上がる官能の螺旋は唐突に拠り所を失う、
瞬間的な不能と、響応する全能の幻想、
仮初めの悲劇がそこに芽生え、
虚実の血が滔滔と混ざり合う、
それはまさに生活の痕跡だ
私の不在を示す空間のヴィジョンだ
鳥瞰のパズルに存在した瞭然たる一片のピースだ、
玉手箱の隅で唇を閉ざす少女の孤独は
引き払われた事務所に残された観葉植物のようで、
哨戒機から見下ろした流氷に佇む子アザラシを想い、
また旅客船に紛れ込んだ鼠の狼狽を匂わせ、
それでいて炎天下に晒されたマウンドの記憶に似ていた、
許されるならば駆け寄って、
しかし私には持ち合わせることばが足りない、
セミのように寄り添ったところでそれはもはや皮肉にすらならない、
途方もない距離の彼方で
湿った太陽しか産めなくなった彼女のために、
愛してる、愛してると繰り返すことは
途方もなく愚かだとしても
どうか、意味を抱くことを願う
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ある日、卑語すら飛び交う酒の場で私一人が素面のまま友人達と話したのだ。もはや砂浜
の上で首だけ出して息をしている、次の満潮で死ぬだろう、死ぬだろうと、痴れた悪酔い
の場に乱れ厭世を極めていたにも関わらずあの日の大きな津波はついに私を浚うことなく
多くの日常とそこに絡まる幸福と不幸を飲み込んでいったのだ。自惚れをこじらせた露悪
と自己欺瞞を縮れた陰毛に喩えてみたりして、バベルの塔とか砂上の楼閣とか、それでも
揺らぐことなく妄信するに足る霊神はどこか見えないところに実在しているのではないか
と己の爛れた無神論を幾度となく疑う。行商跨る駱駝の何番目の胃袋、赤子が去り納屋に
眠る揺り篭、虚数解を含む放物線のハンモック、脱輪して乗り捨てられたわナンバーの助
手席のダッシュボード、児戯にも満たない初めて書いたあまりにも稚拙なポエムの行間、
兎に角とてつもなく愚かなほど強かに生き続けているのだろう。錘を振りほどきかけたメ
トロノームのようにぐらりぐらり星々はまわる。金か時間に殺されるまで、善人の腕の中
で眠ることを覚えてしまえばなべて世はこともなし。神も青春もカーテンコールを受けず
に済むのならそれに越したことはない。天は何処や、したり顔で訊く、胸の裡で組む哲学
も情操もみなプロペラの気流に吹き消されてしまうのだ。
酒の席の翌日は、体質なのかなぜか涙がよく出る。
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たとえばこの鍵が
この独りよがりを呼吸困難に陥れるスイッチだとしたら。
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この孤独に手当てが付くのなら
もらい鬱の坩堝に溺れることも安いものか。
多忙極まりなくすれ違う男どもと女ども、
獣の姿で一時停止したままの彼女も
倅の涙を拭い履き替えたばかりの下着を洗濯機に放り込んだ私も
惨めなまでにひしゃげた救いがたい大人だ、
省みるべき私の恥を暴かないでくれ、詮索するな、
泣いて詫びるよりこの生温かい氷の中からハッピーバースデイを唱おう、
18歳になる君のために
18歳であった私たちのために、
何食わぬ顔で千年紀を跨いだ大衆の未来のために。
那由多の瞳を持ち寄ったエキストラが放射状に散り行く瞬間はまさに
自由の寓話だ、壮観だ、凡庸な生死だ、
この路地に伸びる影は捨てる神か拾う神か、
分水嶺の先に待つのはヘルメスかタナトスか。
あなたの穴も私の穴も
一輪の花を活けるために閉じているはずもなく、
ゼロの次に待つのは幾分大きなゼロに違いない、
私は腸の中を歩いているのではなく
無限を生きるいくつもの原子たちを目送している産道の襞に過ぎない。
瑣末な衝動の連続が転調を招き遺伝子の渦をミラーボールに変える。
くたばってしまえと罵られて
本当にくたばってしまう人たちの滲む灰色の街に広がる
藍染め敷き詰めた美しい闇夜から
私が抱く二十世紀を散骨しよう、
それが宝玉の慈雨になることを願う。
東京の空を飛ぶ、明日にでも、鍵を握って。