磨くという行為
夏美かをる
夫と言い合いになった日の深夜
冷蔵庫の前に這いつくばって
冷たい床に雑巾で輪を描いた
何度も何度も同じ輪郭を辿って
ただ一心不乱にひとつの輪を描いた
怖い顔で子供を見送ってしまった朝は
東側の窓の右下に輪を描いた
使い古した五十肩が悲鳴をあげるまで
ただ夢中でその場所に輪を描いた
ネットの言葉に心が乱れた時には
鏡をキャンバスにした
息をはぁはぁ吹きかけては
狂おしい勢いで手を回した
さもないと 私の陰気臭い顔が
そこに映ってしまいそうだったから
いつのことだっただろう?
泣きながら便器の側面を擦っていたのは
そう、信用していた人の裏切りに気づいた時だ
台所や居間やバスルームのあちらこちらに
私がこうして刻みつけた
境界の滲んだ輪形の傷
それらがほんのり熱を帯び
煌々と輝きだすのは
決まって家族が寝静まってからだ
だから私だけが知っている
殺伐とした世界の片隅にあって
何かしらざわついている我が家にも
漏らした溜息の数だけ
ひっそりと息づいている神秘的な輪の存在
深層で渦巻いているものの暗さを覆うように
凛とひかめくループの光の、その圧倒的な眩さを