詩人・砂木論のための覚書1
オダカズヒコ



「空をください」
http://www.geocities.jp/sati_no_hon/uta_sorakudasai.htm

「空をください

 みあげても
 みあげても

 おちない
 心
 信じたいから

 空をください
 翼を 開き

 めぐりあう
 希望を 求めて」
            砂木由宇子・作


ぼくが初めて砂木さんと言葉を交わしたのは文学極道という詩の投稿
サイトの中でした。

「僕と麗子」
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=9;uniqid=20050608_567_261p#20050608_567_261p
このポエムにコメントを頂いたのが最初だったと思います。
出会い的な話をすると、砂木さんの方が先に、ぼくを見つけてくれた。
このことに対してまず、ぼくは彼女に感謝したいと思います。

>ミドリさんの詩は 三作読ませていただきましたが
>なぜか自分の中で 危険という赤ランプがつきます。
>おなかの胎児をほおむって 頭だけ昇天してる女性にみえます。
>社会への恨みと 平和への憎悪。
>救いきれなかった まこと君への追慕のような。
>三作に共通する慟哭が 私ではつかみきれないような
>気がしますが 何か握りしめたナイフを離さない様な
>生な現実として 危険と感じます。

彼女がぼくにくれた一番最初のコメントがこれです。
ぼくの作風のどこに関心を持ってくれたのか、それは今でもよくわから
ないのですが、察するところ、多分、世の中に対する「告発」の気分が
詩の中に含まれている。
その危機意識というか、意識の危機というか、その匂いを嗅ぎつけたか
らだ。などと考えているのですが、いろいろ考えてみるとそれも著しく
アヤシクなってきます。

>平和への憎悪。
などという強い言葉を語る人が、同時に最初に引用した、「空をください」
というような、こんなにも明るくて未来を展望する勇気に満ちた作品を書く。
このambivalentな彼女の相貌は、この詩人をもっとも魅力的している横顔
と云ってよいだろう、そう思うのだけれど。

また彼女はぼくの現フォでの作品のコメント欄で、自分のことを単純に詩
が好きな人、それが私と語っている。

「詩が単純に好き」

この言葉の周りをグルグルとまわって考えてみるのだけれど、よくわからない。
自分にとって「詩」とは何であるか?
例えばそういう設問に対してなら、ある程度ぼくにも答えることができる。
だが、「詩が単純に好き」という事、或いは、この言葉の意味はぼくには到底
理解できるものではない。

多分、彼女は嘘つきの、やけっぱちで、人からよく思われたい見栄っ張りなタイ
プなのだろう。そう思うと、なんとなくこの言葉の意味も何も、わかるような気
がするのだが、おそらく彼女は認めないだろう。
従って、ぼくの彼女に対する憶測と憧憬はここで頓挫するのだが・・。
直接会っていろいろ話してみれば、彼女、詩人・砂木という存在がもっとよくわ
かるのかもしれないが、人妻である上、ぼくも熟女好きとキている。
間違ってテルホでしっぽり、などと云ったケースも十分考えられるワケである。
以下、自粛・・。(-_-メ)

少し、というかかなり話がそれてしまったが、
ぼくはここで詩人・砂木という存在を論じてみたくなった、経緯というか、マア、
そういう話です。

「空をください
 翼を 開き

 めぐりあう
 希望を 求めて」

ここで詩人の語る「空」が、何を譬えているのか、ぼくはそれが彼女に詩を書かせ
ているモティベーションだと考えるのだが、その辺の話はまた次回に譲りたい。




散文(批評随筆小説等) 詩人・砂木論のための覚書1 Copyright オダカズヒコ 2015-09-24 21:09:54
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