原点を探して
あおい満月

 何かが書きたいと、パソコンの画面に向う。するとどうだろう、白紙のワード画面が巨大化して此方に近づいてくる。私は呑み込まれる。そんな夢を幾度か見た。画面の内部は、埃臭い舞台裏のような場所だ。壁や床や天上に、詩や新聞やエッセイ、小説、ルポルタージュの切れ端が転がっている。ここはきっと、私の記憶の内部なのだ。「記憶の内部」と聴くと何やら海馬のような渦巻きを連想するが、私のそれは寧ろ一つの部屋なのだ。実際私の部屋はいつも散らかっているが、それ以上に散らかっている。散らかっているものをかき集めてみると、どれも愛しいくらい大事なことばたちだ。しかしことばたちは、手にした瞬間に泡のように溶けて消えてしまう。まるで綿菓子が口のなかで溶けるように。私はことばのひとつひとつの味の気配を頼りに綴っていく。すべてはことばの気配やぬくもりである。
「体験」という大きな記憶を持っている人は、その体験をことばにしたことばの気配は強烈であろう。しかし、その強烈さが「旨み」となって素晴らしい世界を展開させることが出来るのである。そういう作品は非常に好きである。
 体験を欲するならば、自分が今、どこにいてどのような立場に立っているのか知ることが大事であろう。私は今は、昼間は公共施設の事務パートとして働き、その傍らに詩を書いている。ただしそれで何の原稿料ももらってはいないし、大きな賞も取っていないのでまだまだ世間の見る目はただの「趣味」になってしまう。だから私は、生き甲斐ならば真摯に向き合おうとしているのである。昔、恋人に言われた言葉がある。「賞を目指すならば、書く前に何故自分は詩を書くのかゼロから考えるんだよ」と。成り行き任せでは駄目なのである。
 再び夢の話を引き戻して接着させると、白紙のワード画面、押し寄せてくる切迫、それらを振り切るために全てをゼロにし、原点に帰ることであろう。中心があれば揺らぎもない。原点、帰るべき原点を探しに今夜も旅に出よう。


散文(批評随筆小説等) 原点を探して Copyright あおい満月 2015-09-16 21:34:10
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