過去
あおい満月

何かを書こうと考えるとき、私は大概「過去」を思う。記憶の片隅に置いてきた大きなものや小さなものの過去という時間。光が闇から生まれるように、私も過去から生まれてきたのだ。未来を見つめるにも過去の目が必要だし、未来を創るためにも過去の力が必要である。
 私の過去を辿るとき、どうしても拭えないのは、病気を併発し、自損をしたという事実である。壊れたものは大きかった。同時にもっと大きな何かを失ったはずなのに、私は未だに、その何かが思い出せない。思い出そうとするとまるで、3D画像が切れていくような錯覚に襲われ軽い目眩を起こす。もしかしたらそこには、私が今日まで何故、ことばを書くのか、大きな謎が生きているかもしれないのに。
 時々NHKで、芸能人のルーツを辿る『ファミリーヒストリー』という番組が放映されているが、私のヒストリー(歴史)はどうだろうか。私のこの、「書かずにはいられない」想いは誰から来たのだろうか。母方には女性は学術に才のある人間が多かったという。父方は知らない。私が10代の時に父母は離婚してしまったし、大阪にいる父方の祖母には5歳のとき以来会っていない。しかし私は何故か確信している。母方に、きっと文才がある女性ないし男性がいたのだ。その人はきっと悲しい運命を歩んだに違いない。過去には「私」が確かに存在しているだろう。
 前世占いには興味はないが、仏教用語の「けん族」という言葉は信じている。今、自分の身の回りにいる人々、通りすがりの人、電車に乗り合わせた人、職場の仲間、家族、友だち、恋人、伴侶、これらすべては皆、過去世から繋がっているということ。 だから、過去は忘れてはならない。
 何かを書こうと、ノートや携帯、パソコンに向かうたびに思うことは、ものを「書く」もうその瞬間から過去への扉をあけはじめているのだ。私の過去は、未来に向かって始まっている。


散文(批評随筆小説等) 過去 Copyright あおい満月 2015-09-15 20:22:00
notebook Home