嘔吐しない現代詩人について
……とある蛙
およそ文芸である以上読者がいて、
個人的な人生あるいは社会的になんらかの影響力をもつもの、
あるいは芸術としての愉悦を読者に与えるものでなければならない。
なんてね!
詩として
C42 サンフランシスコブルースから
「詩人になりたいものだ
でなきゃ死んだ方がましだ。」
by J・ケルアック
詩を書くペテン師の俺は
一歩歩くにももったいぶって
ケンタウロスがどうの
エトスがどうの って
まぁ 飾りだらけの言葉を並び立て
自分が知的である振りや
自分がナイーブである振りなど
いかにもって 格好をして
町外れの駅まで毎朝歩いている。
その間の風景には
格好をつけさえしなければ
九月だというのにバラの花が
向かいの家では咲き乱れ
塀越しに道に張り出していたり
野良犬と思っていた雑種の犬
が実は飼い犬で買い主と散歩していたことや
歯医者の二階から
朝のあいさつをしているのが
オウムでなく九官鳥だったことや
いろいろ見えてくるはずだ。
塀沿の上で蹲っている猫が
見事なロシアンブルーであったことや
すれ違った乳母車の中が
実は小さな婆ちゃんであったことや
見過ごしてしまってもどうでもいいことがたくさんあって
それでも見過ごすよりは幾分ましな人生を送れるだろうよ
などとチシャ猫に変化したロシアンブルーがつぶやく。
なぁにが詩人だと
後ろ指を指されても相変わらず
くだらないプライドを後生大事に
内蔵脂肪の内側に隠している。
肥満の原因は分かっているのに
そのままぶくぶくと太ってしまって
駅まで歩く事すら億劫になってしまった。
と自称詩人が行く。