束縛の必要性
あおい満月

(だれか、この腕を解放してくれないだろうか)

そんな声が、帰りの車中で本を読んでいると、心の背中から聴こえてきた。
 確かに私たちは「繋がれて」いると思う。こうして液晶に向かっているあいだも、私たちは何かに「繋がれて」いる。それは時間という現実であり、現実という時間なのだ。それでは、私たちはそれらから本当に、解放されたとしたらどうだろうか。
 作家の西加奈子さんの『炎上する君』という短編集のなかに、ストレスが原因で身体が風船のように宙に浮き上がってしまう病の話があるが、その話とは真逆に、私たちはあらゆるストレスから解放されてしまうと、本当に身体が宙に浮き上がってしまうのではないのだろうか。恐怖感に私は震える。現実に縛られるのは辛いことかもしれない。
 しかし、私たちは現実がないと生きていかれないのも事実だ。飲み物や食べ物、必需品を「買う」、それには「お金」を「支払う」。当たり前の道理である。そういった現実を無視に、私たちは本来生きられないのだ。
 私は私を縛りつけている見えない鎖に身を委ねて文章を綴る。どこかで救急車のサイレンが響く。「生きている」という鎖を一瞬でも無視しただけで、取り返しのつかない大惨事になることもある。
 本当に現実から解放される日は、死ぬときであろう。
 生きるという束縛があるからこそ生み出せるものがある。私はその摂理や、理に感謝がしたい。


散文(批評随筆小説等) 束縛の必要性 Copyright あおい満月 2015-09-03 21:22:25
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