備忘録20150903
深水遊脚




叶えないでおいたほうがいい願望もある。すべての願望が叶うはずもない。でも、これは叶えないほうがいいと潔く決めることはとても難しい。



叶えないと決めてから、却って自由に展開できることもある。そこで自由がいかに困難であるかに気づくこともある。自分の意思だったはずが誰かの願望に過ぎない、というのも多い。



作品の圧倒的なクオリティーの高さが政治的、倫理的な指摘をはねのけるという幻想は捨てた方がいいと思う。その幻想自体が政治もしくは倫理で成り立っているのだから。



死者の視線を優しさに限定するのは何故だろう。私も死者として70年後の人々に優しくしなければならないのだろうか。心地よい型を求めればこぼれ落ちるものも多い。私はそれを恐れる。



ある問題の負の側面をもって、その色で他の問題を塗り潰すような言葉は、常習性のあるドラッグと同じ効果がある。その言葉の純度を高め精製し快感を共有する営みからは距離を置きたい。



詩人であろうがなかろうがどうでもいい。私も、誰かも。何かそれらしい言葉を書いたり読んだりして一喜一憂するというのが一番みっともない。それが詩人と呼ばれたとしても、みっともない。



これはたぶん共感型とか感情移入型とか言えると思う。この1種類だけでなく、批評型、紹介型、改変提案型、ゲームシナリオ作成型、マニアックな細部抽出型とか、ようは自分の気持ちを語る以外の自己表現のフォーマットも作ればいいと思うけれど、潰されるよねこういう考え方。



相手のことも、自分のことも、支配することはできない。当たり前だと考えているけれど、意に反する受け取られ方ひとつで動揺してしまう。そんなときは多分、自分自身に対して言葉を尽くしていないのだと思う。



帳簿をいいかげんにつけていると決算期に慌てるのみならず、残業地獄にあう、場合によっては粉飾になり会社が損害を被る、なんていう厳しさもあります。自分のペースで締め切り前4日で済ませてドヤ顔する、なんて悪い癖をつけたら……知りませんよ私は。



リバイバルブームとか、ベスト盤とか、過去の美味しいところを摘まんだものに警戒心を怠らないでおきたい。作品を知るきっかけとしてはいいのだけれど、それで評価を固定してはいけないと。選択した人の基準が必ず入っているし、それが人気投票的なものだったら、 当時のファンとそれを取り巻く時代の空気というのもある。簡単にそれを切り離す癖をつけたら、選ぶものと選ばれないものに、単純に優劣の差を持ち出すような見方しかできない。過去の何かを持ち出すことは、それを現代に翻訳することだから、紹介するには翻訳と同等のきめ細かさが要求されると思う。その翻訳と同等のきめ細かさは、異なる文化、異なる価値観を相互に認め合うことで、PCと重なってくると思う。



そっか。詩集の感想って簡単だったんだ。知らなかった。読まれることを拒絶する文字列とさえ私は考えているのだけれど。作品のなかの言葉を足掛かりにしようにも足場がなくて、自分で足場を作らなきゃいけないサバイバル的な要素もある素敵な底無し沼があなたを待っています。



オリエンタリズムは、例の海女の写真集を語るなら欠かせない視点かもしれない。東洋、伝統、健康、ほかにもあるかもしれないけれど、海女のイメージがどこに収束しているか。ある程度は客観的に観察できるはずで、肯定的にせよ否定的にせよ落ち着いて鑑賞するのはいいかもしれない。



認知バイアスについて調べていたとき、間違えないでいることは無理だから間違いに気づいたらすぐに認めるようにしようと考えた。そのやり方で問題なく行っている。



楽しい記憶、嬉しかったことをイメージすると偏りが少なくなるらしいということも聞いたことがあって実践している。いまのところこれも正しいのかもしれない。つらいことに向き合わなければいけないことももちろんあるのだけれど、向き合うことで認識が深まるし、誰かに共感する力が高まる気がする。



昔でもいじめ。周りはいじめだと思っていたと思う。加害も被害も、自覚しにくいことはあるから。聞こえない声を聞こうとしないと、なかなか気付かないことかもしれない。聞こえない声に対する気付きは、政治家に必要な資質として求めたい。私は。服を脱がされて体に落書きされたらどういう気持ちになるか。まして当然表明した怒りも笑いで無効化されたら。本気で分からないのだろうか。



恋と愛を一緒にした呼び名、恋も愛も知らない人に好きなように解釈されて使われ続けて原型をとどめていない言葉に、そんなに未練もないかな私は。私の表現のなにかを恋愛にこじつけて批評されたら、めったに怒らない私が、もしかしたら怒るかもしれない。



恋愛が共依存ではなく、強さを活かしたまま絆を深めるように描くこともできる気がする。そうして描かれたものが恋愛と呼ばれないなら恋愛という呼び方ごとそういうものを捨ててしまえばいい気がする。


散文(批評随筆小説等) 備忘録20150903 Copyright 深水遊脚 2015-09-03 16:17:10
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