S姉さん
あおい満月

 忘れられない、大切な人との出逢いや別れはなにか、と問われると、いつも思い出す人がいる。S姉さん。私より4つ年上のアルバイターだった。S姉さんは、アパレル関係の仕事をしていたせいか服のセンスもよく、スタイルもよく、美人だった。過去にはドラマのエキストラもしていたことがあるらしく、兄弟のいない一人っ子の私には自慢の「姉さん」だった。S姉さんとの出逢いは今から15年前。私がまだ短大1年の夏だった。当時Kという、ヴィジアル系のバンドのヴォーカルの追っかけをしていて、ライヴハウスで声を掛けられたのがきっかけだった。大概私は、ライヴに行くと「ファン歴は何年ですか」等と押し売りみたいな言葉から見ず知らずの人と会話をするのだが、S姉さんは違った。まるで昔からの知人のように話してくれた。Kの話以外でも、洋服の話や、昔書いていた詩の話、恋人の話、S姉さんの話は夜空の星座のように煌めいていた。しかし、そんな日々はそうは長く続かなかった。ある日のKのライヴのとき、京都からやって来たTという5歳年上の男性と私たちは知り合った。
 私もS姉さんも好感を持った。S姉さんは、Tに特別な感情を持っていることは何となくわかっていた。それから私とS姉さんとTの付き合いが始まった。夏休みにはTが京都から遥々やってきて、三人でもんじゃ焼きやステーキを食べたり、Tから盛んにCというバンドの希少なデモテープやポスターやCDが送られたりした。しかし、私は気がつかなかった。私の知らないところで、S姉さんとTが密会をしていたことなど。ある夜のS姉さんからの「私、T君と交際してるの」という電話を聞くまでは。ふたりの交際は秒読みだった。するとS姉さんは毎晩、Tとの恋の話を私に電話でしてきた。当時私は、就職したてで忙しく、余裕がなかった。ある時には、浅草の焼き肉屋から「F子ちゃん元気?今、T君と一緒!T君に代わるね」などと交際順風満帆な電話をよこしてきたりもした。耐えきれなくなった私はある日、思いもがけない言葉をS姉さんにぶつけてしまった。「私だって、T君のことが好きだったのに!」と。それから程なくしてS姉さんとTは破局した。原因は、関東と関西の文化の違い、Tの親との同居を拒否した結果だったとS姉さんは言っていたが、私のせいなのかもしれない。私があの夜、あんな言葉を吐いてしまったから。それからというものS姉さんは、何だか荒々しくなった。電話でも「世の中で一番面倒くさいのは人間なんだよ」などと言ってきたり、なんだか魔女みたいに感じられた。今でも覚えているが電話の向こうのS姉さんの笑い声が黒い鴉の羽根のようで寒気がした。「世の中で一番面倒くさいのは人間」何が彼女をそこまで変えたのか。そのとき私は僅かに悟った。S姉さんははじめから黒かったのではと。黒い鴉の羽根をどこかに持っていて、それを歯の後ろに隠していたのではと。そういえばいつもS姉さんの写真の中の目は暗かった。動きのない暗さ。笑っていても、おどけていても。熱によって左右される金属のような。熱が私、T、あるいは、ヴォーカリストのKだったのかもしれない。それから私たちは、疎遠になった。今では番号もメールアドレスも知らない。ただ、夏と、S姉さんの誕生日10月19日がやって来るたび、今でも胸が痛む。すべては私のせいなのか。なくしたものは、もう戻らない。


散文(批評随筆小説等) S姉さん Copyright あおい満月 2015-09-02 21:51:02
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