口紅
あおい満月

 クリスタルアメジスト、という口紅を買った。夏になる前頃から気になっていた口紅だ。駅ナカのショップの隅に置いてあったその口紅を試しに唇に当ててみた(本当は手の甲に着けるのに)。するとどうだろう。一日に疲れきった顔が、まるでダリアが花開くように、ぱっと明るくなったのだ。私はけして超美人ではないのに、ショップの鏡に映った顔は「王女のよう」に私の目には映った。
 口紅とは不思議な化粧品だ。枯れた大地が息を吹き返すように、女性の顔に命を与える。「例えば周りを紅く、真ん中をピンクで塗るの。そうすれば唇のインパクト一つで、随分表情が変わるものよ」母親に昔、教わったことがある。
 そして、春夏秋冬、色を使い分けること。だから私は今ではちょっとした口紅コレクターである。新宿で働くようになってから、化粧品は私の必需品になっている。とは言っても、あまり高くない月給から購入するので、そう頻繁には買えないけれど。
 口紅を選ぶ感覚は、学生時代、油絵の具を買うために選んでいた感覚に似ている。油絵の具は、青ひとつ取っても、数十種類ある。色が織りなす絵画の世界を堪能していた中学・高校時代、ゴッホやゴーギャンのような静物画ばかり描いていた。点描という筆遣いが好きで、あまり人付き合いが得意ではなかった学生時代の心の隙間を埋めるように、キャンバスの中を絵の具でいっぱいにした。
 一個人の世界を強く求められる大人の世界に入った今は、こうして自分に楽しみを与えながら生きている。けれど、時々ふと、一抹の寂しさを想うのは、戻らない愛のせいなのか。 降り続く秋雨の冷たさなのか。


散文(批評随筆小説等) 口紅 Copyright あおい満月 2015-09-02 21:07:23
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