かなこ
nemaru

風呂に行こうとすると、玄関先にコオロギ、風呂屋の壁にナメクジ、帰り道にカマドウマを見た。虫に好かれているのか、小雨で少し虫たちがフィーバーしているのか知らないが、 もしかすると地震の前触れで、虫たちがなにか伝えたがっているのかもしれない(コオロギ・ナメクジ・カマドウマで「カナコ」とか)。街灯にたかる「ガ」も含めると「かなこが…」となり、かなこが一体どうかしたのか?という話になってくる。虫の知らせだとするとよくないことで、とりあえず小学校1,2年で同じクラスだった佳菜子を思い出す。佳菜子はいまだに匂い玉を大事に集めていて、メロンの匂いのを、昔何粒かもらったような気がする。あの時の俺は両開きの筆箱を持っていて、最初は嬉しかったけど、3日目にはめっきりと魅力が減衰し、家でひとりでいるときにはおちんちんをの皮を挟んでぶらぶらしたこともあったから、あの所為で包茎なのかもしれないし、あのアホさ加減が今も少々長引いているのかもしれない。あのクラスから高校卒業・そして長いアルバイト生活の現在に至るまで、身の回りにコナカさんはいなかったし、ナカコ(なんだか悲しいひびき…)もいなかった。街灯にたかる「ガ」も含めるにしても、カコナガさんはいなかったような気がする。俺にとって、コオロギとナメクジとカマドウマで考えられる可能性は佳菜子だけなのだ。佳菜子どうしてるかな、と思ったが、顔が思い出せないのですぐに飽きてしまい、家に辿りつくまでに「カナコ」を「マナカナ」にしようと思い、まずコオロギに戦力外通告を言い渡した。マで始まる昆虫、は思いつかないから「魔王」にして、魔王は多分昆虫ではないので、特別ルールとして「魔王系」から考えることにした。「魔王系」で頭の抽斗を開けると、ダイオウイカとオバケナナフシしか入っていなかったので、日本はシルクロードの終着点だと昔読んだのを思い出し、だから犬もカブトムシも極めてオーソドックスでシンプルな形なのだと思った。そしてイヌとカブトムシで「イカ」だから、ダイオウイカと繋がるなと思った。イヌは種族だが、今回は特別ルールで許可した(カブトムシも同様)。真性という意味での「マ」をつけるのはどうかと思い、マ・カブトムシ、マ・イヌ、マミズクラゲ、と行き当たった。マミズクラゲだ。これでマナカナへの筋道がついた。どうやるかというと、まず特別ルールでナナフシの「ナ」をふたつとり(同じ昆虫から二文字取るのは本来反則行為だが、同じ音が続く場合において一回限り許される)、カマドウマの「カ」、マミズクラゲの「マ」で、マナカナ。これを成立させるには須磨海岸でマミズクラゲを見て、六甲山中でナナフシを見て、そして今さっき見たカマドウマを確保して飼育する必要がある。見た虫の名前は三日間ストックできる。マミズクラゲは虫ではないが、初回なので許可する。カマドウマは今さっき見たやつを飼育しておけば常に「カ」を確保できるが、死んでしまった場合「カ」は成立しない。明日から五連勤なので、神戸に行くのは15日になる。レンタカーとガソリン代で1万ぐらいかかるので、痛い出費だ。さっきのカマドウマを捕まえて、6日間生き延びさせるための餌も、ネットで調べなければならない。一番の問題はナナフシで、なんならナメクジ二匹を飼育していてもいいのかもしれないが、それはとても自堕落なこと。自分には常に厳しくありたいと思う。それに、あれはどちらかというと貝の仲間だから、カイも逆さにするとイカなので、これもダイオウイカとリンクする。短期間で二度もダイオウイカが出てくるとは、一体どういうことなのだろうか。大王に関して、何ら思い当たる節はない(アルバイトをしている)のだが、これだけダイオウイカが頻出するということは、俺はある意味で、大王になる男かもしれない。もう30も過ぎたのに、いきなり頭の中に「大王」と「魔王」という言葉が出てくるだけでも、かなり非凡なものを感じとることができる。じゃあ「大王」に対する救済措置として、六甲山でどうしてもナナフシが見つからなかった場合、ナナフシっぽい枝をナナフシとすること。夜間はイノシシが出て非常に危険だし、レンタカーだから、ぶつかって凹ますと修理代(この前は塗装剥げで7万円だった)を支払うはめになる。ウリボウを発見してしまった場合、マナカナはその時点でマウナカウナとなり、ゲームは終了、即刻炎のアフリカ行きとなる。シカを見た場合はマシナカシナで、この場合はツンドラ気候まっしぐらとなり、マシナカシナは西中島南方と同じ抽斗に保管でき、使用する場合はイコカカードを目の前に掲げて「コール」宣言をしてからのBetとなる。Betにはさっきのカマドウマを使用し、赤く塗られたカマドウマは自らの命(ライフ)を表す。賭ける際は、カマドウマが飛び跳ねてどっちのものかわからなくなるので、後脚をもいでから提出するのがしきたりだが、ついもぎ忘れたふりをして場をかき乱すのも、イカサマの常套手段である。須磨で発見したクラゲはいかなる場合でもマミズクラゲとすることを特別ルールとして許可。しかしこれでは簡単すぎるので、六甲山でナナフシっぽい枝を折ったもので、浜辺に打ち上げられたクラゲをツンツンした場合に限り、そのクラゲを「マミズクラゲ」とし、その時点で「ナナ」と「マ」が同時に成立することとする。ツンツン後は三時間以内に帰宅し、家で飼っているカマドウマをじっと眺め、生存確認することで「マナカナ」の成立とする。先にカマドウマを見てから家を出る(もしくは車内にカマドウマを飼う)のは重大なルール違反で、確保したものは家に置き、必ず最後に見つめなければならない。もし死んでいた場合、虫カゴを振って、少しでも足がぐいーんとなった場合、生存しているものと見做す。こうしてすべてのノルマを無事達成し、マナカナができたとする。するとやはりマナカナのどっちを連れいていくかで迷うし、二人同時だと両手が塞がってしまうので難儀するので、特別ルールとして今回に限り両開きの筆箱の右開きがマナ、左開きだとカナが出てくる「デュアルシステム」を採用。しかし上下逆にするとどっちがマナカナかわからなくなる懸念があるので、消しゴムのほうに頭を向けているのがマナで、足を向けているほうがカナ。しかし常に片方しか開かない場合、マナカナのどちらかが二役を演じて、ひとりがサボる可能性が出てくるので、透明の筆箱が必要だが、プライバシーも守る必要があるので、1/3くらいは不透明な部分を残しておく必要がある。筆箱サイズならふたりとも楽に運べるが、走ると尖ったエンピツが弾んでこめかみに突き刺さるかもしれないので、エンピツを抜いておかなければならない。じゃあ何のための筆箱かという話になり、マナカナを入れておく両開きの箱はもはや筆箱じゃないので、逆の発想でマナカナを筆として使うとよいのかもしれないが、筆圧が高いとマナカナが折れるし、頭でぐりぐりと書いた文字を消すというのは非常に残酷で危険な行為だと思う。骨折防止のため、首にコルセットを着けていただくのもよいが、エンピツといえばやはり"Tombo"であり、「トムボ」というのはつまり俺がボトム、底辺だという事が言いたいのかもしれない。「ボトム」で「ダイオウ」だから、「ボダ」、菩提樹≒仏の可能性もありえるが、単に境界性人格障害の「ボダ」である可能性もある(ボトムを「底辺」と置き換えた場合は「テダ」となり、てぃだかんかんならびに岡村隆史に関係ある何かである)。もし素直に”Tombo"を「トンボ」と読むとするならば、逆の発想で「ボットム便所」が成り立ち、その場合、便所コオロギとしてのカマドウマもそこに成立することになるが、このカマドウマをマナカナに含めるのは反則で、そして「ボットム」が成り立つとすれば、ツトム君としてのボトム君も同時に成立する可能性がある。このボトム君をナカコと結婚させることにより、「中」と「下」は揃うが、「上」が不在なので、これから生まれてくるであろうボトム君とナカコの子供に授けよう。今日種付けをすると、来年の7月頃に生まれることになる。漢字を当てるとすれば「丈」がふさわしいのかもしれない。苗字はカコナガでいいだろう。カコナガ丈は加古川城(「ガ」が「ワ」になるのは時代の流れ)とひびきが似ているから、やはり播磨、つまり兵庫、神戸とリンクしているので、神戸にはかなり何かがあると言わざるを得ない。カコナガボトム君はマナカナを筆箱にしまうような男だが、ナカコと「丈」はきっと大事にする。丈は「タケ」だから、タケ婆さんであり、カコナガタケは90近くになるので、さっきのロッカーの鍵番号(87)に極めて近いので、これも考察に値する現象と言える。そして、マナカナと西中島南方も何となく似ているので、ここにも何らかの関連性が見いだせるのかもしれない。西中島南方からマナカナを差し引いて、残った「にしかじみみた」をシャッフルして
しじみみたにか
みみにたかしじ
たしかにじみみ
しみじみたにか
みじかしたみに
じかにしみみた
これは絶対になにかある。詩人か地震だが、「ん」がないので「しじみ」か「耳」の可能性が高い。やはり「蜆」にも虫が入っている(そして見ることは耳で聞くことの反対だ)し、虫の知らせを「聞く」ための感官器官としての「耳」、これを人間の「勘」であると解釈した場合、先ほどの「てぃだかんかん」とリンクし、「勘勘」というのはパンダの名前、もしくは「てぃだかんかん」から「岡村隆史岡村隆史」と展開した場合、99となり、これもカコナガタケ(90)の年齢と極めて近い。「99」というのは「99%」つまり進捗(プログレス)の完了直前を意味し、この世界がすでに99%であることを俺に知らせるための「佳・菜・子」であったことは、もはや疑いようがない。虫の音を「しみじみ」聞くという可能性も捨てきれないし「佳菜子、ミニ、地味」の場合は、地味なミニスカートを履いているのかもしれない。しかし地味なミニスカートなんてものがあるだろうか!との疑念が払拭できない。大穴で「三谷か蜆」というのもあるが、これは小林聡美が三谷幸喜よりも蜆のほうをとった、ということかもしれない。虫の知らせが「虫の音」である場合は秋が近いので、季節と連動する何か。つまり秋の夜長に虫の音を「聞く」ということになるが、ごあいにく様、カマドウマは鳴かないのだ。キリギリスとほとんど一緒のポーズなのに鳴けないということには、ここに何らかの謎が隠されているのではないか。「カナカナ」と「マナカナ」は似ているので、鳴き声をひぐらしに奪われた虫こそが、ひょっとしたらカマドウマなのかもしれない。西中島南方の「ニ」は単純に「ニイニイゼミ」が奪ったとして、残りの「シナカジマミナミカタ」もおそらく蝉によって奪われたのではないか。ニイニイゼミとアブラゼミとミンミンゼミとクマゼミとヒグラシが同時に鳴いたら流石の「西中島南方」であろうとも、ひとたまりもない。しかし、ウマオイは「すーいっちょん」だから、これは西中島南方とひとつも被らない鳴き声だ。なぜこうも巧い具合に「西中島南方」をはずした鳴き声になったのか。ここにも事情がある。カマドウマはウマオイとの鳴き声争奪戦(の最下位決定戦)で敗北し、ウマオイは最後の鳴き声「すーいっちょん」を得て、カマドウマは完全に鳴き声というものを剥奪された存在なのかもしれない。つまり昆虫界で最後まで残った鳴き声は「すーいっちょん」だったということになり、やはり「その鳴き声はちょっと…」と思う虫が多かったのではないだろうか。しかし"Switch On"はパチンコ機製造メーカーであるサンセイR&Dのキャッチコピーだ。ということは、俺がCR牙狼シリーズを好きなのも、ネット上で底辺(ボトム!)と叩かれるのも、これで説明がつく。つまりウマオイの「ウマ」とは牙狼の愛馬である「轟天」のことであり、牙狼こと「黄金騎士」は、黄金からの係累で便所とリンクし、またも便所コオロギとしてのカマドウマが成立することになる(しかし何度も言うようだが、このカマドウマではマナカナはけして成立しない、念のため)。こうしてサンセイR&Dとウマオイとの関連性は「轟天」にあることがわかった。そして車が3台もあるのならウマなんか要らない、という話になり、ここに車社会の発展によって駆逐された「ウマ」の怨念が篭っているということを、人間は概して見過ごしがちだ。虫の知らせとは、馬社会の怨念が99%に達している(危険水域にある)という警鐘であり、「カナコ」は現在神戸のパチンコ店で働いているという可能性。そして、飼っているカマドウマをパチンコ玉として使用する場合、やはりBetする為にはカマドウマの足をもがないといけないしきたりなので、足をとったカマドウマはふじっこのお豆さんにそっくり(ひょっとしたらマナカナはこれを掴む為の「箸」として、存在するのかもしれない)なので、「あのねのね」が「赤とんぼ」の唄を歌ったのと同じ構図が透けて見えて来る。ということは、俺はカナコとフォークデュオを組んで「カマドウマの唄」でデビューする、と、そういうことか。しかし、カマドウマから一気にふじっこのお豆さんになると、赤とんぼが一気にかきのたねになってしまうので、「カマドウマ、カマドウマ、足をとったらコンデンサー」という一節を付け加え、そして次に触覚を毟る事により、ふじっこのお豆さんに着地するのである。そしてここで「あのねのね」が出てくるということは、先程の「トンボ」ともリンクしていて、「羽根をとる」「足をとる」という行為には、この問題の解決にとって、非常に重要な示唆が含まれているものと確信する。飛べないという事に関しては、カマドウマはキウイと協力関係を結ぶべきかもしれないように、彼等の暮らしぶりは羽根がないことで非常に似通ったものであり、俺とカナコとのこれからの生活のヒントにもなるであろう。


散文(批評随筆小説等) かなこ Copyright nemaru 2015-08-30 17:55:27
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