ルクレティウスの夜
あおば

        150822

あの山越えて、野を越えて
芳子先生が好い気分で歌いだす
平均律の授業の時の楽しみだ
先生はオペラ歌手を目指してた
美声だったので
声域が広かったので
少しおっちょこちょいだったので
議論好きの男たちに囲まれた
学生時代の因果の果てに
中学数学教諭と結ばれた
そんなのすぐに破綻する
野次馬の嘶きも力に換えて
二人は道無き原野を疾走した
それからふたりはいつまでも
しあわせにくらしましたとさ
とは書けない共学の定義が
首長が異なる度に
勤務校により変わるのに我慢できない
いつでも好きな歌を歌っていたい
いつでも好きな命題に没頭したい
ふたりの利害は一致して
いつまでも仲良くともに励んでおりましたが
芳子先生の在籍する高校に進学すると
世界史を選択するとルクレティウスの
「物の本質について」のレポート提出が
単位取得の最低必要条件となっている
ラテン語詩文感想文までは求められないが
暗にそれをも要求する英語担当教諭の厳しい眼差しが
伸びやかな芳子先生の歌に注がれる
おれはまだまだあの先生の近傍にはとても辿り着けない
来年からは、すべての感想文レポートの採点基準を厳しくしよう
一人くらい厳しすぎる英語担当がいてもよい
いくら厳しくしても、芳子先生の歌声がすべてを救済してくれる
自分もその一人だと自覚しながら、赤のボールペンに力をこめる
新学期の授業の夜はまだ始まったはかりだというのに
早くも目が充血している



初出「即興ゴルコンダ(仮)」
  http://golconda.bbs.fc2.com/
  タイトルは、はかいしさん。







自由詩 ルクレティウスの夜 Copyright あおば 2015-08-22 21:45:26
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