黄金虫
あおい満月

切々になった階段が私を呼ぶ。
たった一粒の錠剤が
彼女の声と記憶を切り刻んでしまう。
切りぎざまれた彼女の声と記憶は、
ビニールテープになって、
夜の闇に凪いでいく。



割れた鏡に映る
私の名をもつ別の彼女が、
割れた欠片越しに
にやりと三日月をつくる。
背後から笑い声が
聴こえた気がして
あわてて割れた鏡を閉じる。
幾何学模様の窓越しの空には、
童話のような、
見覚えのある細い月が浮かんでいる。

**

一人急ぎ足で帰る夜は何度目だろうか。
背後から誰かの黒い自転車が、
割れた硝子瓶を持って後をつけてくる。
そんな想像が、
両手一杯にひろがって
呼吸を荒くさせる時間が。
家に帰りついて
一本の冷たいペットボトルを飲み干すと、
今度は笑いが漏れてくる。
顔のない笑い。
笑いは腕の毛孔から
ふつふつとわきあがって、
足元の小さな黄金虫の舌におりてくる。

***

黄金虫の舌は、
誰かの舌に似ていた。
冷たくて、
メロンの味がして。
そうだ、父親だ。
昔小さな頃、
父親に口通して、
メロンの味の飴を貰った。
緑色の舌をだして
笑っていた父親は、
ちょうどこの黄金虫の緑色の背中に似ていた。
私は虫が触れないから、
黄金虫よ、
明日は一人で
草むらに帰っておくれ。
切々になっていた階段は、
いつの間にか列をなして波にのって夜を漂う。
無傷な朝のために。



自由詩 黄金虫 Copyright あおい満月 2015-08-19 21:41:54
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