話は変わるけど
狩心

自分の弱さを正当化して お洒落に見せる 芸術家気取りの奴等が嫌いだ

あ~、文字にしたらスッキリしたわ!

さて、話は変わるけど
自分を生かし過ぎると誰にも発見されない透明人間になるし
自分を少し殺すと普通の人間になるし
自分を殺し過ぎるとゾンビになるよ

完全に理解し合えないのは分かっているけれど、もしかしたら分かり合える誰かと
自分の中にある神様を 少しだけ 共有したい

良いモノの定義には 終わりがないから
とてもとても苦しいのだけれど
目指さずにはいられない性と
それを一旦終わらせてくれる死は
ある種の救いなのだけれど
きっとまた 転生してしまう

だから本当は死は救いではなくて
生きたままの無を探しているのかもしれない

無は面積や体積もない 物凄く強く凝縮された点のようなモノで
存在していないのだが 存在しているモノで
本当は数えることは出来ないのだけれど
その一つ一つの点には確実にそれぞれの神様が居て
美しい状態ってのはそれらが
無限に敷き詰められていることで

全てのことが起きている
無が無限に存在している
本当はモノは存在していなくて
それらの 関係性 だけが存在している
というのが、この宇宙の答えだと

とある時は透明人間で、
とある時は普通の人間で、
とある時はゾンビの

わたくし、程塚狩心が思いました。

非常に面倒臭くて抽象的でつまらない文章だなと、あなたはわたくしのデリケートなあそこに打ち込んできますが

もっと面白くて、あなたの快楽主義が満たされるよう、日々精進いたします!
と、私の主語例が呟き、

色々と表現を変えて、話も変えて、術後例を沢山挙げて、あなたのその痛みを和らげてあげたいと試みますが、
結局のところ、
本質的には同じような内服薬と添い寝しか提供できませんことを、

御許しください

ぼくらすべては虚しい無の存在ですが、
この宇宙は 強大な関係性
つまりは 愛で 満たされていますから、
恐れることは何一つないのです

愛は 言い換えれば
自分以外のことを
感じること 感じてしまうこと
信じること 信じてしまうこと
思うこと 思ってしまうこと で
本来は無であるはずの 存在そのものを 証明しようと試みる行為 そのすべてを意味します

よく間違われがちなのですが、
愛に 善悪や良し悪し 好き嫌いは関係ありません、
西暦2015年現在のこの人間社会ではよく、愛という言葉を 大好きな対象にだけ使用しますが、それは誤りです、

もしそれが嫌悪するものであっても
感じること 感じてしまうこと
信じること 信じてしまうこと
思うこと 思ってしまうこと であれば
それは愛です

大嫌いなものでも、あなたがそれと関係性を持った以上、つまりは、人生すべてが愛で満たされています

宇宙の法則ですから逃れられません、
諦めてください

(笑)

形式上は逃れられた気がしても
関係性だけは無に還りませんから
本質的には逃れられないのです

だからぼくの

自分の弱さを正当化して お洒落に見せる 芸術家気取りの奴等が嫌いだ

という思いは、ある種の愛として
ぼくのなかに浸透しています

あ、そういえば言い忘れていましたが、
全ての個々の存在は関係性の下で、全て一つに繋がっていますが、何故か個の存在は全てを感じ取れないように出来ていますので、ぼくらが愛を示せるのは関わったモノに対してだけです

でもそれがあらゆるところで連動しているので、一つになれるわけですから

あー、つまり

この宇宙が存在できているのは、
ぼくら(人間以外のモノも全て)一つ一つが、
自分と関わったモノ全てを愛しているからでして、

とりあえず自分は
関わったモノたちと
楽しい世界を創造していきたいです!
よろしくお願いします!
今までありがとうございます!
これからもよろしくお願いします!

完全に理解し合えないのは分かっているけれど、もしかしたら分かり合える誰かと
自分の中にある神様を 少しだけ 共有したい

無であるぼくらは
他者がいなければ 存在できない


自由詩 話は変わるけど Copyright 狩心 2015-08-06 14:03:25
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