船旅
ただのみきや

乗り合わせた連中と
サイコロ振ったりカードを捲ったり
酔っぱらって歌ったり
ここで生まれた
もの心ついた頃には船の上


過去の航跡をぼんやり眺め
濃霧に満ちる行き先に目を凝らす
詳細な日記をつける奴は頭が良い
いつでも自分の内のドアから出歩いている
阿呆は阿呆なりに
あたまを信天翁にして解き放つ
時空を鳥瞰してみたくて
だけどみんなてんでんばらばら
割れた鏡のひと欠片
僅かな霧の晴れ間に
自己を無理やり映そうとするものだから


舵がないから舵輪もない
帆もなければオールもない
動力もスクリューもない
だから船長も船乗りもいない
だけど仕切り屋はいる
理論家に演説家
ヤクザな輩も事欠かない
自称「法の番人」も
大多数は無気力者
鬱の者たち
あとは日々をいかに楽しむか
パーティーマニアを粋に着こなした
自死に焦がれる蒼い灰だ


時折 船から姿を消す者がいる
何処とも言い難い海域に飛び込んで
事故死や自然死あるいは病死でも
死者は海へと流される
死んでから人手で流されるか
死ぬ前に自分で身を投げるか
そこにどれほど違いがあるか
答えは自分で出さなければならない
誰かに決めてほしい連中は
今夜も何処かの船室のドアを叩き
占いとモノポリーに興じている


海を漂う手紙を詰めた壜を
網で引き上げると
みんなが重宝して回し読む
ほとんどはつまらないものだが
この船以外のものにロマンがあるのだ
古ければ人糞の化石でも価値を持つ
この船には大抵のものが揃っている
足りたら足りたで
無いものにばかり焦がれ憧れる


鳥の糞の中に混じっていた
種を拾い甲板に植えてみる
それが何をもたらすのか
あるいはもたらさないか
過程において意味を問うても
自らの今日を明日に繋ぐには
日常に見出した小さな疑問や
好奇心をそっと摘み上げ
安易な答えを否定し続けるしかない
ぶどう 桃 未完 オリーブ
女神の部位の甘い実り
果汁は酔わせ狂わせる
何処かで裏切りを期待してさえいる


人が死に人が生まれ
価値観は殺され また新たに捏造される
おのおのが好みの主義思想を枕に
快楽と死の狭間で翻弄され続ける
船は沈まない
古びても荒廃しても
革命が起きても戦争が起きても
いのちが次々入れ替わり
船の姿が変容しても
時が永遠へと流れ落ちる
時空の果て
終わりの終わりまで
船は沈まない


暗雲が立ちこめて
誰もが嵐を予感している
予感しているから
幼いころの母の胸や
日常のささやかな儀式
隣人とのいつもの会話など
掴んでいたくて手を指を泳がせている
不安を煽ることにのめり込み
何かが圧倒的に変容することを
どこか願っている者たちは
デルフォイ巫女さながらに
謎めくが意味のない
言葉をゆるゆると垂れ流す
床にこぼれたそれを跪き舐めて
形而上学の味を見出す者
孤独は知性を貝殻のように変容させた
寝覚めの夢の儚さに
確かな意味をもたらしたくて
硬い言葉で論を組むが
何処か何かが足りないピラミッドは
こどもの指で一点を押せば
古い映画のジオラマみたいに
崩れ落ちて行く


人々は幽霊船を見出し
人魚の声に侵されて行く
それはひとつの処方箋だと誰かが言った
いつも混沌と曖昧が
心の一部に地所を得て時折
イカが墨を吐くように
クジラが潮を吹くように
驚いたり面喰ったり
すでに何もかも知っていると
情報のマッチ棒で建てた城に立て籠もり
孤高の幼児椅子に坐す
猿の木乃伊になるよりもずっと


星の海から星座を見出すより
時空の海原から存在の意味を見出す方が
遥かに困難
困難だから
自由に繋ぎ合わせ形作ることができる
幾重にも幾重にも
花のようなビーズ飾り
誰の首に捧げようか


海よ 茫漠の海よ
鏡のように凪ぎわれらの影を映せ
われらもまたおまえの中のひと粒ひと雫
船よ 人の増減がおまえの喫水線を変えるだろうか
誰もいなくなって
見つめる者もなく
思考する者も絶え
風は誰の頬も撫ぜず
光も人影を生まず
悩みも葛藤もなく
喜びも喧噪もない
船よ やっかいな荷物が消えても
おまえの喫水線は僅かも変わらない


船よ
誕生も死もおまえの上
おまえの果てなき旅路
衣に住み着いたノミのように
幾世代も幾世代も
わたしたちは生きている
嵐が氷山が直撃しても沈まず
わたしたちは滅びない
戦乱が疫病がわたしたちの大半を殺しても
わたしたちは生き残る
わたしたちはわたしたちの子孫は
運ばれる 誕生と死を季節のように巡らし
時が永遠へと滝のように流れ落ちる
終わりの終わり
果ての果て
誰かが視る
なにひとつ残されず
全てが全てとなる
旅の終焉を




               《船旅:2015年8月2日》










自由詩 船旅 Copyright ただのみきや 2015-08-05 19:06:36
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