朦朧のJuly
ホロウ・シカエルボク
赤い火を見つめながら、暗い夜のことを思うだろう、濁流のような呑気な日常に飲み込まれ息も絶えだえ、そして訪れた僅かな休息の前の静かな真夜中には、騒がしい自分の心が聞こえるだろう…夜よ、俺を喰らうがいい、窓を開けて幾日かぶりに顔を見せた月を見上げる、そこから長い舌がさらいに来ないかと…俺は嘘を貼り付けた顔すら装えはしない、下卑た連中たちが俺を標的にして、控えめに仕掛けてくる…俺はそいつらをただただ哀れんでやるだけさ、そんなことでカタがつく人生なんてこれっぽっちも俺は送っては来なかった
生きようと思えばもっと生きられるはず、生きようと思えばもっと生きられるはずなんだ、それは懸命さとか執拗さとか、そういうことではなく…ノイズと静寂の共存した世界をきっちりと受け止めるような…両極からその間にある全てを受け止めて認識して受け入れるような…窓を開けると夏が雪崩込んで来る、このところ雨ばかりでまだ太陽はロクにそのギラつきを印象には残していないというのに…俺はそのことが無性に腹立たしい、俺はそのことが無性に腹立たしいんだ…目覚めるたびに雨の音が聞こえる、ねえ、目覚めるたびに雨の音が聞こえてくるんだ、ああ、今日も雨が降っているんだって、この世界に帰ってくるたびに判るのさ、そんな朝には窓を開けて、今日どれだけ濡れればいいのかということ
を確かめてみるんだ、雨は降り止まぬ…オーディオプレーヤーで流しっ放している音楽がそんなフレーズを囁いて俺は苦笑いする、現実は時に安っぽいドラマなのだ
日付と、時刻と、曜日が定まらなくなっている、現実に麻痺している、流れていくものは止められない、流れに乗ることを止めて違うものを見ようとすると、あるいは違う流れを探そうとすると、その流れには二度と戻ることが出来ない、その流れは多くの無自覚な連中が過負荷なく生きるためにこしらえたものだからだ…ほんの半歩踏み出しただけでそのことは理解出来る、それはあまりにも無表情で、そのくせに妬みや嫉みに満ちていて、愚にもつかない小競り合いの得意な連中が大勢居る…飽きれるくらいにさ
問題なのは、自分が明らかにその流れを離れたと感じたあとでもそこには関わり続けなきゃいけないということさ、それは無自覚であるが故に堅牢に作られたしきたりなんだ…大勢のぽかんとした正しいやつらが自分なりのやりかたでその中で無駄を生産し続けるんだ、まるえそれが大義であるみたいな顔をしてね…まったく、可笑し過ぎて笑える代物じゃない、そいつは全く可笑し過ぎて笑える代物じゃないのさ、そこには有機物たる意味なんかありゃしないんだ…いまはいつだ?いまはいったい何曜日の何時だ?夏だということしか俺には理解出来ない、時間はあまりにも身勝手に通り過ぎてゆく
時々、まだほんの時々だが、俺は寝床で、静かに確実に死につつある自分を感じる、全てが終わりに近付いているのを強く感じるんだ、そこには明確な理由など何も無い、ただ強く確かにそう感じるだけだ、それがどんな種類の死なのかそれは判らない、あるいはまるで新しいことの始まりなのかもしれない、だかその予感の先には虚ろな意識の空洞だけがあり…時々、まだほんの時々だが、俺はそれが本当は願望なのではないのかと考えることがある、俺自身がそんなカット・アウトをどこかで期待し始めているのではないかと…そんな考えにいっときは血が冷えるような感覚を味わう、だがそれは間違った感覚なのだ、死を思うことは、生を思うことと大差無いのだ、ノイズと静寂と、その間にあるすべてだ
時は無情だろうか?運命は容赦無いだろうか?ーそんなことはないのだ、時も、運命もただそこにあって、雨の降る朝には俺と同じようにただ濡れた路面を見つめているだけなのだ……