夜更けの紙相撲・今日もどこかで雨が降る
そらの珊瑚
なぜか通夜や葬式に雨が降っていることが多かった。
人が死ぬということ、世界のどこかで雨が降るということは、あっけないくらいあたりまえのこと。けれど自分にとってゆかりのある人の死は、雨があがったあともずっと脳裏でやまない雨を降らせるようだ。
小学校5年の時、同級生の通夜へ参列した。
彼とは席が前後ろで、よく笑う男の子だった。なぜあんなにも彼が笑っていたのか、さいごにどんな話をしたのか、今となっては思い出せないが、葬式の日、私たち同級生はみな、いろとりどりの傘をさして参列したことだけを、まるでそこを鋭利な刃物で切り取ったみたいに覚えている。切り取ったのは紛れもなく自分だというのに、まるでそうした自覚がない。
思い出というのは不思議な生き物だ。いつのまにか消え絶えてしまうものもいれば、餌をやらないのに、気づけば大きく成長していたりする。
死という得体の知れなさ、不条理なものを感じた初めての体験だった。
彼の家はもう取り壊されて、跡地はコインパーキングになっていた。
コンクリートで固められたそこだけ、晴れていてもなぜか雨が降っているような気がする。少年のままの彼が、傘をさして笑っているような気がする。
いつか誰かにわたしのさいごも切り取られるのだろうか。
そのとき、雨が降っているのか、いないのか、知ることが出来ないのは残念な気もするが、そもそも死ぬということはそういうことなのだろう。
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