『遡上の果て』  卵から始まるはな詩⑥
ただのみきや

故郷の水産加工場で働き始めて二年になる
腹を裂いて 卵を取り出す
完全な流れ作業
嫌な仕事 本当に
だけどこんな田舎ではまだましな方
特に何ができるでもなく
コネがあるわけでもない
男相手の仕事にはウンザリしていたから

私は卵と目を合わせない
目を合わせると聞こえてくる
「お母さん お母さん……
夢も現も区別なく付きまとう
子どもの声
一度も聞かなかった声
ふくませなかった乳房

まだ大人になり切る前に
故郷を出て都会の海へ泳ぎだした
私もまた鮭のよう
誰にも見張られない
自由な暮らしに酔いしれた
まもなく男の網に掛かり
躰を横たえ夜な夜な肴となった
生活も心も切り身として売りに出し
当たり前のように妊娠した
その頃すでに男に顏は無く
暗黙の流れ作業のように私は
まだ魚のような赤ちゃんを
病院で掻き出した

そうして
順番を違えたまま
導かれるように
故郷へと遡上した
この脂の抜けた〝ほっちゃれ〟が今
他の雌の腹を裂き筋子を抜いている

嫌な仕事もいつかは慣れる
機械の一部のように
腹を裂き 卵を抜く
腹を裂き 卵を抜く
腹を裂き

《医者や助産師も慣れるのだろうか
《嫌なら始めからやらないだろう
《耐え切れずに辞める人もいるだろうか
《他に手段の無い不幸な女を救うため
《使命感を持っているのかもしれない
《酷いことだろうか
《でも私が望んだこと
《後悔しているか……
ここでいつも 石になる


あれは社長の知り合いの馬鹿息子だと
休憩時間に古株の一人が教えてくれた
見習いだと言うが
すぐに上司になるのだろう

「腹を裂かれて子を奪われる訳でしょう
きっと死んでも死にきれないよな」

噂通りのクソ馬鹿息子だった
男はだらだらと手を動かし
閉まり切らない蛇口のように
途切れることなく喋り続けた

「うわー 卵が睨んでるよー 」

毛穴が太りざわつきだす
身に沁みて解っていたことだ
男はどこまでも女を苦しめる
そんな生き物だ
意図してもしなくても
そのすべてが女を苦しめ
そのすべてが女を狂わせる
この男は私のことを知らない
職場の誰も知らない
この男の言葉を誰が裁くのだろう
それともこれは報いなのか
正義は私を救いはしない
正義は私を告発する
あの時 他に選択肢はなかった
本当になかったのか
人はどこかに心の抜け道を模索する
晒す部分が人並み程度に白く見えれば
それ以上ほじくり返すことはしない
あとは仮想でいい

「もはや強制堕胎だな」

ああ卵たちが叫んでいる!
《お母さん お母さん お母さん お母さん
無数の赤い眼の瞳孔が大きくなって
どこまでも大きくなって私を捜している
ごめんね
 ごめんね
   何かできる 
      私に
        何かできる

下腹部が裂けるように熱い
膣から中身が溢れ出し
裏返る 私は
傷ついた むき出しの子宮

男の顏はいつも無い
この男とそのうち寝るのか
また繰り返すのか私は
《オカアサン オカアサン オカ……
マストに突き出たヤードみたい
包丁が刺さって
白衣の水兵さん
アホウドリみたいにじっとして
赤い血が赤い卵に降り注いだ
《オカアサン 精子ヲ 精子ヲカケテ……
子どもたちのために
私は男の腹を裂き
手を入れて白子を捜している




              《遡上の果て:2015年5月17日》








自由詩 『遡上の果て』  卵から始まるはな詩⑥ Copyright ただのみきや 2015-07-01 18:10:37
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