なめらかな小石
はるな


半月だか一月だかあるいはそれよりも長いのか泣いて暮していると花は季節をわたっている。咲くばかりであった紫陽花も色あせるどころか朽ちかけているじゃないか。雨の日は靴をはかずに濡れている地面を高層から見下ろして、もしくはテレビ画面を通した目のようなもので眺めている。
日記も書かずに過ごしてはと思い紙をめくると規則正しく空間を抱いた数字たちがぽつぽつ行進してゆくのだがこんなに大勢あったか。と思うくらいな6月、6月。いつの間に春は終わったのか、というか春があったっけ。桜をみたのは覚えているが、

それにしても雨ばかり降ってどうしたんだろう。
と、考えるときわたしはすこし笑う、それがわたしの思うような「遠く」の近くであるとおもうから。ここがどこであるのかわからないしどうしてここへいるのか、どうやってここへ着いたのかわからない、というのが遠くであるべきだ。一瞬のもの、遠さ、どうしているのかわからないということ。あきれるほど全ての物事は細長く薄べったく忍耐強く繋がっていてそれがただおそろしい。おそろしい、途方にくれる、でもこれが冬であったら救われるのにね。
しかたがない、冷蔵庫も冷えすぎてどうにもならないので買物へ出てみれば黄色い梅がごろごろ売ってあるのを見られる。それらをつけるための大きな瓶と焼酎も、それで梅雨や稲妻にも納得している。わたしはときどき愚鈍すぎる。
はさみは、
はさみは抽斗のいちばん上にしまってある。印鑑は四段目で、口紅はまたべつの場所だ。千代紙を買ってむすめに風船を作ってやりたいし、卵もない。


安らかさは、「ここ」よりは離れた場所にある。
つめたい、なめらかな小石のようなのだ。忘れるべきではないので、わたしは鍵盤のまえにすわって、文字を書くのだった。忘れるべきではないと思います、でも、それも忘れる。それは愛しいことです。安らかなことです。わたしはそのためになめらかな小石をペン立てのそばに置くのです。






散文(批評随筆小説等) なめらかな小石 Copyright はるな 2015-06-22 00:25:34
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