『エンジェルエッグ』 卵から始まるはな詩①
ただのみきや
卵はひとつの理想形だ
人間もまた卵から生まれれば
これほど母親との確執に苦しむことはない
乳と血の繋がりはどんな病的恋情より
互いを束縛しその愛は動物並に遠慮がない
その点 卵は完璧だ
無機質な(モダンでシンプルと言ってもいい)
己の殻から生の一歩を踏み出す
母胎との間に完全な隔たりを持って
わたしは卵に憧れる
エッグはゆっくりと舞う
薄青い燐光は心を虜にし
つい時間を忘れて眺めてしまう
羽根の生えた卵
エンジェルエッグ
羽ばたくというより泳ぐよう
海月か
クリオネみたいに
天使という訳ではないのだろう
その日 軒下に作られた鳥の巣へ(そう思っていた)
一匹の蛇がスルスルと柱を上って行くのを目撃し
柄にもなく 庭箒で撃退したのだ
去り際に蛇は振り返り
〝おまえ 後悔するぞ〟
そう言い残すと草陰へ滑り込み姿を消した
わたしはその尾の先が見えなくなると
すぐに脚立を持ち出し
巣を覗いてみた
そこには青みを帯びた
鶏の卵大のものが一個だけ
巣の割に大きすぎるように思えたが
特別気にも留めなかった
だが その夜から
卵はわたしの部屋に現れたのだ
エッグは戸締りをしていても
突如部屋に現れる
ゆっくりと小さな翼で羽ばたいて
ふわりふわり漂っている
夜になると薄く青く燐光を放った
そっとパンやチーズを差し出して
餌付けを試みたがうまくいかなかった
鳥の餌にも見向きもしない
だがエッグはいっこうに弱る気配もなく
毎日現れて元気に部屋を泳いでいる
ある日エッグがふたつになった
目の錯覚ではない
分裂したかのように瓜二つのエッグが
それぞれ勝手に飛び回っている
エッグ同士がたまたま近づくと
音叉のように澄んだ音が響いた
それは倍音を含みなんとも心地よく
わたしは毎日酔いしれた
エッグは一日毎に倍々に増えた
一個も姿を現さないと思いきや
突如群れで現れたりもする
そうして大合唱
エッグ同士が近づき共鳴し合い
澄んだ音色が倍音となり和音となり
まさに天使のコーラス
大聖堂に響き渡る少年聖歌隊を想わせた
部屋の明かりを落すと
エッグたちは青く明滅した
わたしは陶酔し
意識は天界へと溶け去るのだ
エッグの動画を撮ろうと
スマートフォンに手を延ばすと
数人の友人からメールが来ていた
どれも「無事か」 「生きているか」そんな内容だ
わたしの家の近所で
行方不明者が続出していて
〝神隠し〟新聞やテレビなどで報じているという
また青白い人魂の群れの目撃談も
ここ数日 いや数週間か
わたしは仕事にも行かずにいた
――いったいなぜ?
エッグが現れてから
まるで取り憑かれたように
ただエッグをぼんやり眺めていたのだ
わたしは改めて
まじまじとエッグを見つめてみた
いつのまにこんなに増えたのだろう
いまやエッグは壁も床も天井も埋め尽くし
わたしを取り囲んでいた
周囲は徐々に狭められて
わたし閉じ込められて行く
ああ天使の合唱 光の明滅よ
まるで青い卵の内側にいるようだ
なんという安らぎか
突然エッグが一斉に割れた
否 口を開けたのだ
数えきれないほどの黒い触手が
絡みつき 包み 覆い
なにもかも薄れて――
――わたしも
エッグになるのか
《エンジェルエッグ:2015年5月16日》
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