夜更けの紙相撲・6月4日むしば予防ディ
そらの珊瑚

人が奥歯を噛み締める時はどういう時だろう。
何か重いものを持つ時とか、野球でバットを振る時とか、一瞬に自分のありたけの力を込める時とか。
もしくは、口に出来ないような怒りに対して耐えるほかない時とかっていう場合もあるかもしれない。

奥歯が、食べるだけの部品でないと気づいたのはいつだったか。
そんな遠い昔でもなく、つい最近であったような気がする。

私のせいで、子どもに悲しい思いをさせてしまったのではないかという記憶は、あれから7年経っているが、時折心にやってきてしまう。

小学6年生だった息子の食育指導みたいな行事で、体育館に6年生の児童とPTAが集まり、専門家の話を聞いていた。
配られた資料をめくる。
――偏食は健康によくありません。
――偏食すると将来こんな悪い病気になっちゃいますよ。
ツノの生えた悪魔みたいなキャラクターの挿絵が、それを啓蒙するかのように描かれていた。
そのページに記されたいくつかの病気の中に、その当時わたしが罹患した病名もあった。その治療のために抜けてしまった髪の毛がやっとちょろちょろと生えてきたばかりで、私はかつらをかぶっていた。
今、同じ場所のどこかでこのページを見ている息子が、これを読んで、いったいどう思っているのかを想像したら、涙があふれてきそうで、私は奥歯をぎゅっと噛み締めたのだった。わたしひとり、地雷を踏んでるって思った。健康な人にはそれは地雷でもなんでもなくて、ただ読み流していくだけのページだ。

医学的にはこの病気の原因はちゃんと究明はされていないというのに。それにどちらかというと私は偏食ではない方だと思う。

偏食→悪い行い→病気、という単純な図式には、病気になったのは因果応報、あなたが悪いんだよ、と言われているみたいで納得できないところもあるし、病気になることってそもそも悪いことなのだろうか。もちろん偏食は健康に良くないというのはわかるし、それを小学生のうちから勉強することもいいことだと思う。(だからといって大嫌いなピーマンを鼻をつまんで無理矢理食べるっていうのも、どうなの? って思うけど)

あの人、クレーマーだと、先生にかげで言われようと、私は自分の思ったことを学校へ伝えたかったのだが、そうすることで先生が息子へ悪い感情を持ってしまうのではないかとか危惧して、止めた。あとで手紙を出そうか、とも思ったが、ペンを取る気持ちが萎えた。そんなことしても、ただの自己満足じゃないか、と。もしかしたら、こういうのが正真正銘のクレーマーじゃないのか、と、思考はぐるぐる回りだした。
冷静になって考えたら、そんなことが出来るほど、私は元気でなかったのだ。学校行事に参加するのも、不安だった。学校までの長い階段を歩くのも、笑顔で人と話すのも、本音を言ったら外へ出るのさえ、やっとだったのだから。
今、考えてみれば、あれは社会へ復帰するための、リハビリみたいなものだったのかもしれない。

歯はどの歯だって大切だけど、奥歯はことさら大切だなあって思う。出来ることなら、これから嬉しいことを目いっぱいかみしめさせてあげたい。せっかく私の口の一番奥に歯として生まれてきてくれたのだから。


散文(批評随筆小説等) 夜更けの紙相撲・6月4日むしば予防ディ Copyright そらの珊瑚 2015-06-11 16:37:39
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