創作と廃れ
斎藤 九

友人から興味深い話を聞いた

音楽にも創作にも言えたことだけど、物を作る際、何かの真似をしたがる。
真似をした結果、原作か真似した側どちらかが廃れる。らしい

勿論原作とは、文章に限らず音楽もそうだし漫画もそうだ。難しい哲学を語られた気分になった。

ふむ、じゃあ私がこの前作ったピーターラビットもどきの素敵なペン立てはどちらかが廃れるのを待つばかりなのか。
言っとくがピーターラビットではなく、もどきを作った自分に浅はかさを感じるべきなんじゃないかとつくづく思う
だってもどき、じゃなきゃ自分の作ったペン立ては評価されないのだから。
もどきじゃないオリジナルを作って評価される人は山ほどいるが、(なんか、似た様なこと言ってたり作ってる、界隈とも呼べる存在の方々が中にはいるな)
もどきを作った自分が廃れるのである。主体性はそこには無い。

主体性を持った作品に廃れはないと思う。が、難しく掘り下げると流行りとかもあるから、流行は悪く言えば生ものであり廃れるものではあるが、その時代を生きていたという証明にはなる。

わたしの素敵なペン立ては個人の作品としては廃れてはしまうだろうが、その時代を生きていたという証明の人たちにはウケるものなのかもしれない。




散文(批評随筆小説等) 創作と廃れ Copyright 斎藤 九 2015-06-08 23:34:55
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