ナボコフ『青白い炎』第一篇・試訳
春日線香

わたしは影だった、窓ガラスに映じた偽の青空に
殺された連雀の影だった。
わたしは灰色の羽毛の染みだった――しかもわたしは
反射した空を、生きて飛びつづけた。
また部屋の中からも、二重に映して見たものだ
わたし自身を、ランプを、皿に盛った林檎を。
夜の帳を取り払い、暗いガラスに
家具がみな草上にあるように飾ろう
ああ、なんと喜ばしいことだろう
降り積もった雪が芝生を覆い、そしてその上に
椅子とベッドがすっくと立つのは
出て行こう、あの水晶の国へ!
 
降る雪をふたたび拾い上げよ。
ゆっくりとぶざまに舞い落ちる、不揃いでくすんだ雪のひとひらを
日の青白さ、あやふやな光につつまれた抽象的な落葉松
それらを背にしたどんよりと暗い白色を。
それから夜が見る者と風景を結びつけるにつれて
徐々に濃くなっていく二重の青色を。
朝になると、霜のダイヤモンドが
驚きの声を上げるのを聞く。足に拍車をつけた誰が
空白のページのような道に、跡をつけていったのか?
左から右へと冬の記号を読み解くのだ。
ぽつ、ぽつ、歩みを刻む矢印。もう一度。
ぽつ、ぽつ、歩みを刻む矢印……雉子の足跡!
首飾りをかけたおまえ、気高き雷鳥よ
おまえは我が家の裏手に朋輩を見つけた。
来し方を指し示す矢印のような足跡を持つ彼を
『シャーロック・ホームズ』で見かけなかったか?

あらゆる色彩がわたしを愉しませた。灰色でさえも。
わたしの眼はまさしく写真機のようにはたらいたのだ。
心のおもむくままに眺めたり、あるいは、興奮を抑えつつ
無心に見つめるときにはいつでも
視界に入るものは何であれ――
室内の風景、ヒッコリーの葉、ほっそりと凍りついた
雫の短剣――
さまざまなものが、瞼の奥に写し取られた。
それらはそこに一、二時間もとどまったが
とどまりつづけているあいだ、わたしに必要なのは
葉を、室内の風景を、軒下の氷柱を、よみがえらせるために
ただ眼を閉じることだった。
 
それにしてもなぜだろう。湖畔道路を学校へと向かうときには
湖から、われらが学校の正面玄関を見分けられた。
けれども今は、一本の木にすら遮られていないのに
どんなに目を凝らしても、屋根さえ見ることがかなわない。
おそらく空間にわずかな狂いが生じ
それによって引き起こされた歪みや偏りのせいで
ゴールズワースとワーズミス――隣家と学校――の間の四角い緑地に建つ
木造の家や貧弱な眺めに、取って代わられたのだろう。
 
わたしはヒッコリーの若木を持っていた。
深い翡翠色をした豊かな葉と暗がり、貧弱な
虫食いだらけの幹――そのすべてが好ましく感じられた。
夕日が黒い木膚を褐色に染め上げ、周囲には
ほどけた花輪さながらに、葉叢の影が落ちたものだった。
それが今やどっしりと、荒々しく育った。そう、申し分なく成長したのだ。
白い蝶がラベンダーの茂みをひらひらと飛び
その木陰をくぐり抜けて、小さな娘のまぼろしのぶらんこを
穏やかに、やさしく揺らしている。

家自体はさほど変わっていない。翼棟をひとつ
改築しただけだ。その翼棟にはサンルームがあり
見晴らし窓のそばには、意匠を凝らした椅子が備え付けてある。
身動きの取れぬ風見鶏に代わり、今は
大きなペーパークリップ状のテレビアンテナが光っていて
無邪気な、薄絹のようなモノマネドリが
彼女の耳目に触れた物事のすべてを語りに、しばしば訪れた。
チッポー、チッポーという鳴き声から
トゥーウィー、トゥーウィーという澄んだ声に変わり、それから
カム・ヒア、カム・ヒア、カム・ヒルルル……と金切り声になる。
尾を高く上げて振ったり、そっと上に飛び跳ねたり
優雅に翼をばたつかせていたかと思うと、突然(トゥーウィー!と鳴いて)
彼女の止まり木に――真新しいテレビアンテナに――戻っていくのだ。
 
両親が死んだとき、わたしはまだ幼かった。
二人とも鳥類学者だった。わたしは
彼らを呼び起こそうと数知れぬ努力を重ねた。
だから今では千人もの両親たちに囲まれている。が、残念なことに
彼らは、彼ら自身の光輝に溶けて薄れてしまう。
しかしある言葉、ことあるごとに見たり聞いたりするある言葉
たとえば「心臓病」はいつでも父への思いを胸に呼び覚ますし
「膵臓癌」は母への思いを鮮明にさせる。
 
黙示録を経験した人――つまりわたしは、冷たい巣を持っていた。
ここはわたしの寝室だったが、今は客室として取ってある。
カナダ人の女中に押し込まれたこの部屋で
階下のざわめきに耳を傾けながら、皆のためによくお祈りをした。
叔父さんや叔母さん、女中や、教皇に会ったことがあるという
女中の姪のアデール、本の中で出会った人々、そして神が
いつまでも変わらず、健やかでありますように。

わたしは親愛なる叔母のモードに育てられた。
風変わりな叔母は詩人であるとともに画家であり
グロテスクな成長と滅びのイメージが絡み合った
写実的な事物を好んでいた。
隣室の赤子の泣き声を聞きながら彼女が暮らした部屋は
そのまま手を加えずにおかれた。
そこに残るちょっとしたものが持ち主の人となりを表している。
珊瑚を含んだ凸レンズ製のペーパーウェイト
索引を開いたままの詩集(ムーン、ムーンライズ、ムーア人、モラル)
哀愁漂うギター、人の頭蓋骨
そして地方紙『スター』からの珍しい切り抜き
「レッドソックス、チャップマンのホームランによって
 ヤンキースを5対4で破る」がドアに画鋲で留めてある。
 
わたしの神々は若くして死んだ。神を崇めることなど
下劣で、その根拠もあやふやに思えたのだ。
自由な人に神はいらない。だが、わたしは自由だったのか?
自然が我が身に分かちがたく結びついているのを、なんと豊かに感じていただろう。
わたしの子供っぽい舌はあの素晴らしいペーストの
なかば魚の、なかば蜂蜜の味を、なんと愛していたことだろう!
 
ごく幼い頃、わたしの絵本は
彩色した羊皮紙のように、わたしたちが住まう鳥籠を飾った。
藤色をした月の暈、血蜜柑色の太陽
アイリスの花輪、それとあの稀にしか起こらない
イリデュール現象――美しくもまた不思議なことに
山脈の澄んだ上空に
楕円形をしたオパール色の雲がひとつ浮かび
遠くの谷間にかかっていた雷雨の虹を
反射する――
そういったたいへん芸術的なものに囲まれて暮らしたのだ。

さらに、そこには音の壁がある。秋になり
無数のコオロギに築きあげられた夜の壁が。
立ち止まらずにはいられない! 丘の中腹で
わたしは足を止め、虫たちの熱狂にうっとりと耳を傾けた。
あれはサットン博士の家の灯り。あれは大熊座だ。
千年前、五分間は
四〇オンスの細かな砂に等しかった。
ああ、星々を見つめよ。果てしない昨日と
果てしない明日に目を向けよ。はるか頭上に
星々は巨大な翼のごとく迫り、やがておまえは死ぬのだ。
 
思うに、ありふれた俗物のほうがより幸福だろう。
彼が天の川を見るのは、ただ立小便をしているときだけなのだから。
昔も今も、わたしは大枝に鞭打たれたり
切り株につまずいたりと、危険を冒して歩いてきた。
わたしは喘息持ちで、びっこででぶっちょで
ボールを弾ませたことも、バットを振ったこともなかった。
 
わたしは影だった、窓ガラスに映じた見せかけの遠さに
殺された連雀の影だった。
わたしは頭脳と五感(そのうちのひとつはユニークな)を持ち合わせていたが
他の点ではからっきしだめだった。
夢の中では他の男の子たちと遊んだが
本当のところは友達を妬んでなどいなかったのだ――おそらく
濡れた砂の上にそっけなくも巧みに残された
連珠形の驚くべきもの
自転車のタイヤ跡を除いては。

微かな痛みの一筋が
戯れの死に引き寄せられ、ふたたび遠のきはするが
しかしいつでも存在していて、わたしを駆け抜ける。
ちょうど十一歳になったある日のこと
わたしは床にうつ伏せに寝そべって、ぜんまい仕掛けのおもちゃ――
ブリキの少年が押すブリキの手押し車――を見ていた。
それが椅子の脚を迂回してベッドの下に迷いこんだその時
突如として脳裏に陽の光が差した。
 
それからは闇夜。しかもこの上もない闇夜だ。
わたしは時空のいたるところに撒き散らされた気がした。
片足は山頂に
片手は波に濡れた浜の小石の下に
片耳はイタリアに、片目はスペインに
洞窟の中を血は流れ、脳は星となって瞬いた。
わたしの三畳紀は鈍く鼓動した。
更新世のはじめには目の端で輝く緑の斑点が
石器時代には氷のような悪寒が
そして肘の先の骨には未来のすべてがあった。
 
ある冬の間、いつも午後になると
そうした束の間の夢想に浸っていた。
いつしか夢は途絶えた。思い出もかすんでしまった。
わたしは健やかに育ち、泳ぎを教わりさえした。
けれども、汚れのない舌を用いることで
売女のみじめな欲情を慰めるよう強いられた小僧っ子みたいに
わたしは堕落し、脅かされ、誘惑された。
老医師のコルト氏が
募りゆく痛みの大半は取り除いたと明言してくれたのに
驚異の念はいまだ冷めやらず、恥辱は残り続けた。


自由詩 ナボコフ『青白い炎』第一篇・試訳 Copyright 春日線香 2015-06-04 22:48:18
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