ばらのこと2
はるな


咲き誇るということばにふさわしく、早すぎる夏日を仰いで薔薇が咲いている。
あちらにもこちらにもまっ赤だとかまっ白の花びらをひらいて、でもわたしの好きなのは白から甘いオレンジ色へ溶けていくような色の薔薇。影は濃く、そのぶん木漏れ日は光る水滴のようにつるつるはじけとんで、歩きはじめた娘の体じゅうに注いでいる。
五月はいつも、美しい季節だと思うが、昨年からこれまでにかけてはとりわけ美しい一年を過ごした。おそらくもう感じることの難しいような美しさだ。少女のころのもどかしさを思いだすことが難しいように。

かつて多くのことが許せなくて、許したいと思っていた。許すことは愛することに似ていて、愛することは正しさに似ていると考えていた。わたしは世界を愛したかったけれども、世界はわたしのことを愛していないように感じていた。その多くのことはわたしが遠くに行くことを阻み、それでいてそれら自体もわたしから遠くにあった。生きているのはもどかしく、さびしく、恥ずかしく、世界の美しさはわたしを救うように絶望させた。いまでは―、いつのまになんだろう―、もどかしさは旧友のようになり、わたしをもうそんなには苦しめない。許すことや、愛することや、正しいことは、わたしを毎日崖っぷちへ追い詰めたりは―時折は、するけど―、しない。
わかる、わずかな物事よりももっとずっと膨大な物事が世界をつくっていて、覚えている些細な出来事よりもずっとずっと多くの覚えていない日々がわたしをつくっている。ということが、わたしをどんな意味より肯定する。
わたしは、ずっと肯定されたかったのだ。

娘が、たとえば「生んでなんて頼んでいない」と言ったら、どうする?と父に聞かれて(おそらくわたしがそのようなことを父に言ったことがあるんだろう―恐ろしいことに、覚えていないのだけど―)、なんにも考えずに、「ごめんねっていう」と口にしていた、わたしは、ごめんねって言われたかったのだろうか。
生きていくことはおそろしいことだったし(今ももちろん)、居たくなかったし、見たくなかったし聞きたくなかった、そういうことを、ごめんねと言われたかったのかな。
産まれてきたくなかったと言われたら、でも、ごめんね、産みたかったんだと言うしかないだろうと思う。産みたかったし、会いたかったよと思う。ずっと会いたかったよ、あなたがあなたになる前から会いたかったよ。

なんにせよ美しい季節だ、薔薇は咲いているし、娘は歩いている。夢中で土をいじりまわして、うすべったい爪のあいだが茶色くなっている。わあと大きな声をあげ、しりもちをついてまぶしく空を見ているのは、まるで薔薇の咲くのと同じじゃないか。



散文(批評随筆小説等) ばらのこと2 Copyright はるな 2015-05-27 21:15:51
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