雨の日のお迎え
あおば

                    150522


表題を見て思い出した
小学生の頃、一度だけ、傘を持って迎えに来てもらったことがある。
当時は、雨傘も貴重品、一家全員自分の傘なんて持っていない
お勤めに行く人、優先だったような気がする
子供なんか、雨が降ったら、濡れないところで雨宿りすればよい
誰かの傘に入れてもらったりして、帰る人も居て、友達の少ない私は
暫く、教室で小止みになるのを待つしかないなと、雨音を聞きながら
覚悟を決めていた。小雨の中を小走りで帰ればそんなに濡れやしない
もうそのくらいの根性は生まれていた頃だ
授業が終わり、傘を持って何人かの若い母親が笑顔で迎えに来ている
うらやましいと思うことも無く、我が家はそんなことは無理なのだ
そんな幸せは、他の世界のことで私には無関係なのだと気にもせず
少し放心したように、帰ってゆく群れを注視していた。上手くすれば、同じ方行で
途中まで傘に入れてくれる子が現れるかもしれないないから、少なくなってゆく
同級生の動向を眺めていると、突然小声で名前を呼ばれて、若くはない母が教室の入り口に傘を持って遠慮がちに立っていた。それはとても現実のことには思えずなにも感情が湧かなかったが、やはり素直に嬉しかった。忙しい中を無理をしてきてくれたのだと思いながらもなにも発せず、雨の中を黙って傘を差し母と二人、会話も無しに下校した。
それは文字通り、ありえない空前絶後の出来事で、中学生以降は子供じゃないのだからと迎えに来る人が居るはずもなく、その後は折り畳み傘なども出回ってきて、突然の雨にも雨宿りの大木を探すこともなくなった。
そういえば、近年、退院時の持ち帰り荷物が増えて、一人では無理だといったら、黙って兄が車で雨の中を迎えに来てくれたのは嬉しかった。



{引用=初出「即興ゴルコンダ(仮)」
  http://golconda.bbs.fc2.com/
  タイトルは、梓ゆいさん。



散文(批評随筆小説等) 雨の日のお迎え Copyright あおば 2015-05-23 09:59:11
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