甲虫たちは間違える — the out of control
ホロウ・シカエルボク









時間は巨大な甲虫の群れに化け俺の足もとで猥雑なステップを繰り返す、俺は自嘲的な概念とでもいうべきものに動きを封じられていてなす術もない、やつらはそのままふたつに割れて釣針のように湾曲した爪の先を俺の皮膚に突立ててじりじりと俺の身体をよじ登ってくる、俺は痛みに悲鳴を上げるがそんなことはお構いなしだ、やつらは何を目指しているのか、俺の首か、俺の目玉か…なぶるようなスピードでやつらは登ってくる、一匹、二匹…やがては数え切れないほどの数、俺の姿はすでに外からは確認出来ないだろう、黒光りする甲虫たちの背中に覆われているだろう、俺は甲虫たちのキックミットのような腹を見ながら考える、爪を立てられた場所から血が流れ始めているのが判る、そいつはあとから登ってくる連中たちの摩擦を奪い、スリップしたやつらは先に登っていたものたちを巻添えにしながら落ちていく、俺の視界は急に広がり、周囲は風通しがよくなる、だが、それも一瞬の出来事に過ぎない、滑り落ちたものたちは悔しがってでもいるようにガチガチとモンキーレンチのような歯を当てて鳴らし、もう一度俺の皮膚に爪を突立てる、今度は滑らないように、しっかりと、深くまで…俺はどういうわけか悲鳴をあげる気にならず―痛みはさっきのと比較にならないぐらいの激しさだが―歯を食いしばってじっとしている、虫たちはさらにゆっくりと、一度ごとに体重をかけてそのかかりぐあいを確かめながら、しっかりとした足取りで登ってくる、今度は群がりはしない、一匹一匹が干渉しないようにある程度の間隔をあけて登ってくる、まるでプロの登山家のように…俺は目を見開いて登ってくる連中の無機質な眼球を覗き込む、彼らが何を狙ってここに登ってくるのか、それを見極めようとしている、そうしていればなにかしらの意思が交わせるのではないかというように、彼らの眼球をじっと覗き込んでいる、やがて一匹の甲虫が俺の眼前に到達する、そして俺の目のなかをじっと覗き込む、さあ、何がお望みだ、と俺は考える、やつは俺の目のなかを覗き込んだまま身じろぎもしない…そうしているうちに一匹、二匹と、虫たちは俺の顔にたどり着く、そして、最初の虫と同じようにじっと俺の目を覗き込んでいる…何がしたいんだ、と俺は思う、何匹かの虫がその思いをキャッチしたみたいに前脚をピクリと奮わせる、でも、それだけだ…そうしてほとんどの虫が俺の頭部に乗っかってくる、俺は彼らの重さに耐え切れず、前のめりに倒れる、俺の頭蓋骨の重さに彼らの鎧は勝つことが出来ず、手当たり次第に俺の目の前で潰れ弱弱しく痙攣する…なぜだ、と俺は呟く、はっきりと声に出してそう呟く、当然答えられるような状態のやつは目の前には居ない、俺の顔はやつらの体液でべとべとになる、クソッ、なんて不快な臭いのする液だ…俺は懸命に起き上がろうとする、目の前のやつらと同じように無様にしばらくもがいていると、やがて身体が自由になる、起き上がるころにはほとんどの甲虫は死んでいる―俺は彼らを見下ろす、なぜだ、とそしてまた思う、どうしてお前たちはこんなことをしたんだ、と…強固に見えたその鎧はあまりにも脆い代物だった、お前たちは自分の強度を過信していたのか?身体中の爪のあとが痛む、そこから流れているのは彼らの体液とはずいぶん種類の違う赤い血だ…俺はその場に膝を着いて身体と心を落ち着かせようとする、なにも、なにも理解出来ない、現象として不可解に過ぎる…そのとき虫たちの死骸の中から、一匹の甲虫が這い出す、そいつは、潰れていなかった、なぜだ、と俺はまた問う、虫は答えることなく、ただ俺の正面で歩みを止め、俺の顔をじっと見上げている…時間は巨大な甲虫の群れ、そのほとんどは無意味に無価値に、己の愚考のせいで潰れていく、時間とは本来そういうものだ―そして虫は地面に爪先を擦りつけ、不愉快な音を立てる、黒板を引っ掻くような、あの音だ…俺は黙ってやつのすることを眺めている、もう問いかけは無意味なのだ、きっと…


やがて甲虫は俺の前に綺麗に磨がれた爪先を差し出す、それは陶器のように丸く穏やかな形をしている、俺は無意識に腕を差し出す、甲虫は滑る爪先でバランスを崩さぬようしっかりと一歩一歩を確かめながら俺の腕を登り、さっきと同じように俺の顔に止まり目の中を覗き込む、俺ももう何を思うこともなく甲虫の目を覗き込む、どれくらいそうしていただろうか、ある瞬間、本当にほんの一瞬のことだった、彼の意識と俺の意識が境界をなくして溶け合うような感覚があった、気付くと彼の姿はなく、俺の傷は癒え、清潔なシャツを着て佇んでいるそこは間違いなく現実という感触だった。










自由詩 甲虫たちは間違える — the out of control Copyright ホロウ・シカエルボク 2015-05-22 12:11:03
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