いい加減にしろ。
岩下こずえ

 まっくらな夜。いよいよ、みんながおかしくなる時間になる。ひとり、またひとりと、おかしな言動をとめられなくなる。私は、みすぼらしいバーのソファでささやく。「あゆみをとめて、じっと太陽をにらんだ。するどい日差しが眼球をとおって、脳を突き刺して、私はまっしろになった。」まっしろになって、目の前のひとに左手をのばして、目隠しする。「まっくらだわ。」そして、目の前のシャツの小さくてまるい首もとへ右手をのばして、差し込む。もういちど、まっしろになる。

「そこで私は、こうつぶやくのです。」
 どうすれば、本気で生きられるのだろう?
「そうすると、目の前のひとは、しんとおし黙るんです。たぶん、感動しているんだと思うんです。」
 ・・・そんなことはない。

 おかしくなる時間がすぎる。ひとり、またひとりと、この店からでてゆく。かるいとびらをひらくと、そこにはまっしろな朝があって、ふつうの時間がはじまっている。通勤者たちは、あゆみをとめず、職場にむかっている。私はまっくらになってしまう。都営バスが、夜と私をいっしょにかき消すように、ブシューッと音をたてながら、去ってゆく。もういちど、まっくろになる。

「そこで私は、こう叫ぶのです。」
 いったいどうすれば、本気で生きられるんだ! どうしたらいい!
「そうすると、目の前のひとは、怪訝そうな顔をするんです。なにを馬鹿なことを、とでも思っているのでしょう。」
 ・・・そうだろう。

 吐き捨てられ、路上に貼り付いた、まっくろなガム。
 安売りのシールを貼られ、店先にさらされている、まっくろな女性下着。
 弱っているのか、嘔吐物を吐き出している、まっくろなカラス。
 こちらをじっと見てくる警官の、あの腰にさげられている、あの拳銃のグリップのまっくろなこと。

「そんなことは、どうでもいい。やめろ。本当に、どうでもいい。もう、うんざりなんだ。」
 お前は本気で生きている。どうやってるのか、聞かせてくれないか?
「そうすると、きっと誰かが戻ってきて、やさしく、こう言い聞かせてくれるんです。」
 ・・・そんなやつはいやしない。いい加減にしろ。


散文(批評随筆小説等) いい加減にしろ。 Copyright 岩下こずえ 2015-04-17 23:54:02
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