それ
ただのみきや
わたしたちはそれを知っている
わたしたちはそれについて知らない
刈り入れたものを幸と不幸に仕分け
四角四面の境界で善悪のチェスをする
しかも恣意的に
晴れた日に傘と長靴で出歩く者への嘲笑と
裸で歩き回る者への賛辞は絶えることがない
記念日ばかりが増え死者の声が満ちる
わたしたちはそれを見ている
わたしたちはその顏を知らない
天災の姿であれ人災の姿であれ
前触れもなしに訪れる懇願の余地すらない
奪って往く 日常を 心を いのちを
残されて茫然とし愕然とし憤然として
爆ぜ あるいは 黙し
群れが形成される 孤独な生き物を生む
わたしたちはそれを見つめながら
わたしたちはそれを異なる名前で呼ぶ
運命と呼び摂理と呼び偶然と呼び確率と呼び結果と呼ぶ
割り切れる答えを求めながら魂は地獄を巡る
人は各々おのれの磨いた鏡に映る顏こそ真と思う
政治という鏡 科学という鏡 宗教という鏡 哲学という鏡
歴史という鏡 社会学や人類学という鏡 経済という鏡
鏡を持たず音叉を生まれ持った者は鳴り響いて止むことがない
わたしたちはそれを忘れてしまいたい
わたしたちはそれを忘れることはできない
同じ名を呼びながら違う顏を見つめることも表裏だ
「幸せ」と呼びながら各々違う「幸せ」を夢想する
「善悪」も然り 言葉の定義の問題ではなく複写する心の問題だ
恋人の名を呼びながら空想の美人に想いを馳せるのに似ている
だから論じる論理を振りかざす人間は極めて非論理的な存在だ
プログラムの総体のゲームで感情的欲求を発散するようなもの
わたしたちはそれを共有している
わたしたちはそれを共有することができない
ひとつの歴史 ひとつの世界 それと釣り合う重荷がある
人は共有よりも統合を求めるいつも己に都合が良いかたちで
だから負い切れない総体として担うことはできない
誰もが加害者であり被害者でありながら
誰もが救済者であり被災者でありながら
目の当たりにするといつも幼子に戻って泣くばかりだ
わたしたちはそれに抗うことができない
わたしたちはそれに抗い続けるだろう
《それ:2015年3月14日》