術後
草野大悟2

  定年退職後に、日南海岸沿いの小高い丘の上に建てた家から、広々とした海が見える。うららかな春の日射しを浴びて、陽子が、庭にイーゼルを立て、一心不乱に油絵を描いている。
「陽子、コーヒー淹れたよ。一服したら?」
 縁側から声をかけるが制作に集中している陽子の耳には届かない。
「陽子、コーヒー」大声で言うと、「えっ?」と振り返ってこちらを見つめる。はじけるような笑顔がまるで向日葵のように輝いている。その笑顔が、ぐにゃあっと歪んで泣き顔になり、陽子の姿がすーっと消えたところでいつも目が覚める─

 手術をする日は一時間早めに起き、熱いシャワーを浴びる。妻の沙織が準備した厚切りのバタートースト二枚、ハムエッグ、野菜ジュース、コーヒーをゆっくりと済ませ、家を出る。
 棘のような大気が肌を刺す。
 ちょうど三十分で大学病院に着いた。
 職員駐車場の指定場所にモスグリーンのボルボを止め、第一病棟までゆっくりと歩く。
 人影はまばらである。
 大学病院敷地内にある小さな公園で、雀が数羽、チュンチュンと騒がしく、橙色や朱色をした桜の落葉を跳ね分けて餌を探している。
 エレベーターで六階の脳神経外科医局まで上がり、医局入口のドアを開ける。
 凍えた空気だけがあった。
 平成十七年十二月八日。今日、村中英一が執刀する患者は、佐藤陽子という宮崎市在住の五十五歳の主婦である。
 警察官をしている夫と一緒に受けた脳ドックで髄膜腫が見つかり、紹介状とMRIフィルム持参で、ふたり連れ添って宮崎学院大学病院を訪れた。
 初診にあたった脳神経外科倉田悟教授は、MRI画像の髄膜腫の大きさを見て、入院して精密検査を受けた後手術を受けることを勧めた。
「あのう、先生、そんなことはないと思うんですけど……、手術が失敗するという確率はどれくらいなんですか?」おずおずと訊ねる陽子に、「ご心配なく。一パーセント未満です。まあ、全国から私の所に手術依頼がたくさんきているので、手術は少し先になりますが」小肥りの体を反らせて倉田が答えた。
 倉田は、助教の村中英一を執刀医に指定した。脳腫瘍手術数では全国一、二位を誇る宮崎学院大学脳神経外科医局の中でも、村中は、最も多くの手術をこなし、しかも、術後の後遺症もほとんど出していない。
 村中も術前のインフォームド・コンセントで、「手術の難易度は中程度、手術のミス率は、一パーセントもありません」と、佐藤夫婦に断言した。ふたりは、これを信じ、入院して手術することを決めた。

『私(佐藤陽子)は、医師(村中英一)より、
現在の病状・予想される副作用・代替の治療法について十分な説明を受け、理解しましたので、手術を受けることに同意します。
平成十七年十二月三日
               佐藤陽子
            夫 佐藤太郎』

 髄膜腫切除術同意書に署名押印するのに、なんのためらいもなかった。
 入院後の精密検査により、右前頭葉前部脳表に硬膜と広範囲に接する53×38×61?大の良性髄膜腫があること、一部周辺硬膜の増強がみられ血管過多の脳実質外腫瘍出があること、右前頭葉は圧排されてやや正中線偏位が認められること、右前頭葉を中心にT2W1高信号域を広く伴い、腫瘤と脳との境界は不明瞭な部分が認められることなどが明らかになった。
 デスクについた村中は、パソコンを立ち上げ、陽子の電子カルテを開いて今日のオペの手順を再度チェックし、頭にたたき込んだ。
 オペは、執刀医の村中のほか、麻酔医の林、担当医の飯野、看護師四人のチームで行う。
 村中は、水色の手術服に着替え、両手を肩の所まで丁寧に洗って、薄いゴム手袋を塡め手術室に入った。
 そこには、全身麻酔をかけられた陽子が、ヘッドフレームを装着して手術台で眠っていた。
 午前九時四十分、オペ開始。
 村中は、陽子の頭部をやや左方向に回転させ、通常どおり無剃毛でイソジンにより消毒し、ドレイピングを行った。
 術前の検査で、頭蓋内圧が高いことが予想されている。そこで、右耳介前方ヘアラインに沿って左のこめかみまで皮膚を切開し、右前頭部骨の開放が可能になるようにした。
 右前頭部を開けると、硬膜が髄膜腫の圧迫により薄くなり、開頭後一部が破損した。
 村中は、速やかに硬膜を切開して髄膜腫の摘出にかかった。術前の予想をはるかに上回り、髄膜腫の石灰化が著しい。しかも、硬膜と脳への癒着が顕著である。
 脳本体からの髄膜腫のみの除去は不可能、 そう判断した村中は、髄膜腫が癒着している脳本体の一部も一緒に切除することにより、髄膜腫全てを除去することにした。
 右脳の膨張がある程度認められたが、髄膜腫を摘出すればすぐに治まると考えていた。
 オペ開始後一時間四十分、脳膨張が次第に顕著になってきた。
 術中の脳内出血の併発などを考慮し、髄膜腫摘出部よりエコーで脳内の状況を調べる。しかし、そこに明らかな出血などは認められない。村中の心に、初めてオペに対する不安がよぎった。
 もしかして左側で出血? ……。
 そう考えた村中は、オペ開始後二時間十五分、左前頭部を開頭した。
 左硬膜下に薄青く出血が存在する。
 硬膜を切開し、出血を吸引して出血源を確認すると、左橋静脈の破綻が認められた。この急性硬膜下血腫が脳膨張の原因であることに間違いない。
 緊急に出血を止める必要がある。
 脳の耐性時間は一般的には約三時間といわれている。それを過ぎれば脳機能は破壊され、患者は死に至る。
 急がなければ患者が死んでしまう。
 施術部位と反対側の橋静脈の出血は、これまでに経験したことがないし、このような症例を文献で見た記憶もない。
 村中の手が止まった。
 手術室のデジタル時計が時を刻んでゆく。
逡巡している暇はない。
 自分の持つ技術と知識を総動員して処置を進める他に道はない。
 村中は、覚悟を決めた。
 深呼吸をし、手ぶれを最小限に抑える。
 他の血管や脳組織を傷つけないように細心の注意を払い、出血源の橋静脈をバイポーラーで慎重に焼灼してゆく。
 ジッ、という音がし、薄い煙が立ち昇る。
ふーっ、と大きく息を吐き、思い切り空気を吸い込む。
 肉の焼ける匂いが鼻腔を刺激する。
 時計を見る。
 大丈夫だ。
 焼灼を続ける。
三十分後、ようやく出血が止まった……。
 陽子の脳膨張が嘘のように消退してゆく。
 Goatexで硬膜を縫合し、骨片は除去したまま、外減圧の状態で、皮下をバイクリル、皮膚をステイプラで閉じ、オペを終了した。
 オペ開始から四時間五分がたっていた。全身にこれまで経験したことのない疲労感が残った。
 術後、陽子をICUに入れた。
 十二月十五日までの一週間、意識レベルJCS100の状態が続いた。
 MRI撮影の結果、右の中脳に脳ヘルニアが認められたことから、これが意識障害の原因と考えられた。また、右と左の瞳孔直径が異なったことも予後の障害が強く残ることを示唆していた。
 その後、意識レベルは徐々に上昇した。しかし、両上肢機能全廃、座位不能の体幹障害、両側頭葉障害による理解力の著しい低下が認
められた──。

「あなた、最近疲れてるみたいね。ときどきぼんやりして考え込むように黙ってるし……」
 大晦日、病院から帰って、自宅マンションのリビングで紅白歌合戦を見ていた村中に、沙織が声をかけた。沙織は、村中より五歳年下で今年三十八歳になる。宮崎学院大学病院脳神経外科の看護師をしていたが、結婚を機に退職し、以来十年間、心身両面で村中を支えてきた。
「う〜ん……」
「やっぱりそうだ。何かあったんだ」
 陽子のことを全部話してみよう。
 テレビを消した。
「実はね、沙織。今月、良性髄膜腫のオペをしたんだ。佐藤陽子という五十五歳の患者なんだけどね。術後が、僕がこれまでやってきたオペのどれよりも悪い。それがずっと心にひっかかってるんだ。訴訟をうたれて負けでもしたら、僕の将来はない。僕ももう四十三だからね。助教から講師になり、准教授になって、教授となるにはむしろ遅いくらいだ。だから絶対に、オペにミスがあった、などということになっちゃいけないんだ」
沙織は、村中の長い話がため息とともに終わるまで黙って聞いていた。
「あなたは、オペにミスがあったとは思ってないんでしょう?」
「もちろんそうだ。でも、万が一ということもある……」
「大丈夫よ。だって、あなたがオペしたんでしょう? これまであなたがミスしたことなんて一回もないじゃない」
 沙織は、大きな目を細めて村中を見つめ、微笑んだ。沙織の「大丈夫よ」の一言に、これまでどれだけ救われてきたことか。
「でもね、あなた。その佐藤さんという方の術後が少しでも良くなるように、あなたにできる最大限の助力をしなくちゃいけないと思うよ、私は」
「助力? 僕には一番いい病院を紹介するとか、優秀なリハビリ専門医を紹介するとか、そんなことしかできない」
「それで十分よ。私が知っているドクターでそこまでやる人はいないよ。それにね、あなたが患者の立場になって、今後どうするのがベストかを考えることも必要と思うわ」
「う〜ん、そうだな。QOLを向上させるためのベストの方法を僕なりに探してみようかな……」
「うん、絶対それがいいと思う」
「そうだな、そうしてみるか」

 翌年一月十六日。村中は、外減圧していた陽子の前頭部頭蓋骨形成術を行った。
 手術が終わって、医局でコーヒーを飲んで一息ついていたところに、倉田からの呼び出しがかかった。重い腰を上げて教授室に向かう。
「村中君、佐藤さんのオペね、あれ程大きな髄膜腫で、しかも石灰化が著しい腫瘍を摘出すると、当然、脳自体に偏位が生じることは予測できなかったのかね」
倉田は、白髪を掻き上げ村中を見上げながら言った。
「その点につきましては、術前カンファレンスで申し上げましたとおり、過去の術例や論文で当然熟知していました」
「そうかね。君、術前カンファレンスでそんなこと言ったっけ? しかしね村中君、あれ程石灰化の著しい髄膜腫は、それ以上肥大化することなど全くといっていいほどないんだ。そもそも、オペする必要があったのかね」
 オペを決定し、難易度は中程度だ、と執刀医に自分を指定したのはあなたではないか。口まで出かかった言葉を村中はかろうじて飲み込んだ。
「面倒なことになったら困るのは君だけじゃないんだ。くれぐれも僕や大学に累が及ばないようにしたまえ。いいね、分かったね」
 念を押すと、倉田は、教授会があるから、とそそくさと教授室を後にした。
 村中は、大学の同期が医療過誤で訴えられて有罪判決を受け、大学病院から地方の小規模病院に出されたことを思い出し、舌打ちした。
 二月十七日、陽子は、左右上下肢に強い麻痺と硬直を残したまま、村中が陽子の容体を総合的に勘案して選定した、清武リハビリテーション病院に転院していった。県下でいち早く最先端技法である川平法を取り入れたリハビリを行い、入院患者のQOLを飛躍的に向上させている。
 転院の日、村中らオペ担当の医師と担当看護師がナースセンター前のエレベーターまで見送りに出ると、ストレッチャーに乗せられた陽子の横で、太郎が村中を睨み付けて訊ねた。
「先生、家内は手術前のように普通の生活ができるようになりますか?」
「僕には、正直、なんとも言えません」
「なんとも言えない? よく平気な顔してそんなことが言えますね。あなたや倉田教授が、失敗する確率は一パーセント、と言うから手術を受けたんだ。それをこんなにして、なんとも言えませんだって!」
「ご主人、まあそう興奮なさらずに。ご主人は力が強そうだから、奥さんを抱きかかえることも簡単でしょう」麻酔医の林が横から口を挟んだ。「いらぬことを言うな」村中は心の中で吐き捨てた。
 太郎の顔が真っ赤になった。両手を握りしめ、今にも林に殴りかからんばかりに拳を震わせている。林は、顔を伏せ、後退りをした。
 その時、エレベーターが開いた。
 陽子は、ストレッチャーに乗せられ虚ろな目で医師たちを眺め、太郎は、村中を睨み付けたまま、担当医の飯野と共にエレベーターの中へと消えていった。
 村中は、佐藤夫婦に慰めの言葉ひとつかけられず、頭を下げることもできなかった。そのようなことをすれば、自分が執刀したオペが失敗だったと認めるようなものだ、先輩医師たちからそう教わってきた。しかし、何か釈然としないものが、陽子の転院後も村中の胸に強く残った。
 清武リハビリテーション病院の院長は、宮崎学院大学脳神経外科准教授をしていた甲斐真一郎である。教授選で倉田に敗れ、大学を去った。甲斐の講義を受けたこともある村中は、その気安さもあって甲斐に電話を入れた。
「甲斐先生お世話になってます。宮崎学院大の村中です」
「おお、村中君か。こちらこそいつも患者を回して貰って感謝してるよ。ところで今日はなんだい?」
「ええ、先日そちらに入院をお願いした佐藤陽子という患者の容体が気になったものですから……」
「佐藤って……ああ、左半身とかに拘縮がきているあの女性? そういえば君が執刀したんだっけ?」
「はい、そうです。良性の髄膜腫のオペでした。術後の容体がここまで悪くなった患者は今まで経験したことがありません、それで気になって……」
「へぇ〜、君がそんなことを気にするなんて意外だな。僕たち脳神経外科医は、オペが終了し、抜糸した時点で患者から解放されるんだよ。それ以降は、その患者にどんな結果が生じようが『不知(ふち)』でいいんだ。だいいち君、自分がオペした患者の術後までいちいち面倒みていたら、体がいくつあっても足りはしないよ」
「ええ、先生が仰るとおりなんですが、退院するときの夫の態度が妙にひっかかりまして、ひょっとすると訴訟になるんじゃないかと……」
「訴訟? そんなもん勝手にやらせておけばいい。これまで患者側が勝ったのはごく少数だ。気にするこたぁないよ。それともなにかい、オペにミスがあったとでも?」
「いいえ、ミスなんて絶対ありません。オペそのものは完璧でした。ただ……」
「ん? ただ、なんだね」
「ただ、術後の障害があまりにも重いものですから……」
「だからぁ、さっきも言ったように、そんなこといちいち気にしてちゃ脳神経外科医なんてやってらんないよ。ま、そんなに気になるんなら一度うちの病院に来て、その患者を見てみたらどうだい?」
「ええ……、そうしようとは思ってるんですが……」
 村中は、受話器を置くと、ふーっ、と大きなため息をついた。

 陽子の転院後一ヶ月ほどたった木曜日の午後、手術予定のない日に村中は、清武リハビリテーション病院を訪れた。
 受付で教えられたとおり、五階の四人部屋に行くと、陽子のベッドは空で、『リハビリ中』の札が下がっていた。
 村中は、病棟に併設して建っているリハビリ棟に向かった。
 体育館のように広いリハビリ棟では、何十人という患者がリハビリを受けており、陽子を見つけることは容易ではなかった。
 入口近くにいた女性職員に身分を明かして、陽子の所在を訊ねた。
「すみません、今、部長を呼んでまいりますのでしばらくお待ち下さい」
 女性職員は小走りにリハビリ室奥の部屋に消え、代わりにメガネをかけガッチリした体型の男がやって来た。
 男は、「リハビリ部長の前田です」と、名刺を差し出し頭を下げた。
「村中先生、院長から話は伺っております。
佐藤さんの転院後のリハビリ経緯を説明するようにとのことですので、それでよろしいでしょうか?」
「その前に佐藤さんは?」
「あ、佐藤さんなら、ほら、あそこで上下肢のリハを受けています」と、リハビリ室の奥でリハビリ台に寝た状態の陽子を指さした。
「先にお会いになりますか?」
「いいや、後でいい。先に、受け入れ後のリハビリ経緯などについてお伺いしましょうか」
 村中がそう言うと、前田は、右手に持っていたファイルを開き、説明を始めた。
 陽子が転院してきた次の日、二月十八日からリハビリは始まっていた。約二ヶ月間寝たきりだった彼女の体力は、確実に低下していた。
 左腕は肘の所からV字型に曲がり、左手首も内側に捻れていた。
 右手も母指が第二関節から直角に曲がったまま拘縮しており、その他の指にも拘縮が残っていた。
 左足は尖足が極度に進行しており、全く動かなかった。
 座位をとること、トイレに行くこと、口から食事を摂ることなどもできなかった。
 また、想像力や判断力が著しく低下しており、喋ることもおぼつかない状態だった。
「先生、当院に佐藤さんが入院された当初はこのような症状でした。リハビリの状況に移っていいでしょうか?」
 前田が人の良さそうな笑顔を浮かべながら訊ねた。
「ええ、お願いします」
「それでは、具体的なリハビリの進捗状況について説明させて頂きます」
 前田が説明を続けた。
 陽子のリハビリには、主治医平井医師、藤木PT(理学療法士)、首藤ST(言語聴覚士)、森下OT(作業療法士)のチームがあたっていた。
 リハビリは、可動式リハビリベッドに全身を固定して垂直近くまで起こす立位訓練から始まった。
 寝た状態から垂直状態まで台を起こして五分間状態保持。その後水平状態にして五分、これを三セット、血圧、SPO2(血中酸素濃度)の変化を観察しながら行った。
 一週間目から座る訓練も加わった。   藤木PTの補助でリハビリ室のベッドに座った陽子は、頭を支えることができず項垂れ、口からは涎を流していた。
 口からの摂食を可能にするための首藤STによるリハビリも、同じ時期に開始された。
 陽子は、この半年間、食物はもちろん、水も口から摂ったことはなく、胃瘻による栄養補給を受けていた。
「先程説明致しましたとおり、当院に佐藤さんがおいでになった時点では、左半身の拘縮が特に強く、また、嚥下能力も著しく低化していました。佐藤さんの場合、うちでリハビリできる期間は百八十日間です。この間にこれらの後遺症改善のため最大限の努力を尽くしていきます。しかし、まあ、村中先生、大学病院ではどんなリハビリをされていたんでしょうか?」
 前田が村中を真っ直ぐ見つめて訊ねた。
「うちのリハビリは正直、ここと比べると力は劣ります。それに……、うちの医局はリハにはほとんどタッチしないんです」
 村中は、いつになく声を小さくして答えた。
 その言葉を聞いた前田は、信じられないように眉をひそめた。
 前田の説明を受け終わった村中は、リハビリ中の陽子の側に歩み寄って、「佐藤さん、頑張ってますね」といつもの大きな声で声をかけた。
 陽子が顔を向けた。くっきりした二重瞼の瞳が蒼く光った。
「佐藤さん、うちにおいでになってから随分喋られるようになりました」
 左上肢肘伸展から肘屈折、「ハイ、曲げて」と声をかけて片手で上腕二頭筋を擦り、片手で肘屈曲に軽い抵抗を与える動作を繰り返していた藤木PTが言った。
 村中は、小さく頷き、「促通反復療法『川平法』ですか。効果も期待できそうですね。佐藤さん、頑張って下さい」そう言い残して清武リハビリテーション病院を後にした。 

 外来診察や入院患者のオペ、学生の指導、論文作成等に忙殺されているうちに、村中英一は、次第に陽子のことを忘れていった。
 その村中が、否応なしに陽子のことを思い出させられたのは、日頃ほとんど顔を合わすことのない医療事務課の新田課長と医療訴訟係長の林が、突然、医局にやって来たからだった。
外来診察を終了し、コーヒーを飲んで一息ついていた村中に林が言った。
「先生、ちょっと困ったことになりました」「どういうことよ?」
 鷹揚に村中が応えた。
「実は、佐藤陽子という患者の夫から、弁護士を通じて当病院を相手方とした調停申立書が提出されたんです。これです」
 林が調停申立書を差し出した。
 村中は、ひったくるようにして受け取り、
目を皿のようにして読んでいった。
 申立書には、
『申立人に生じた左前頭部の急性硬膜下血腫は、本件手術において想定できない合併症ではなく、腫瘍による内減圧を行っても脳膨張が治まらない場合には、速やかに本件合併症の有無を確認し、硬膜下血腫切除及び出血点の止血措置を行うべきであったにも拘わらず、時期に遅れた処置のため、申立人を現状の状態に陥らしめたものである点で医療機関としての注意義務違反が存在する』
 そう明記されていた。
 手にした文書を思い切り引きちぎりたい衝動を村中はなんとか抑え込んだ。  
「僕のオペにミスなんてあるはずがない。なのに、なんの論拠でこんなことするんだ、全く。林君、これ何らかの手当ができないのか?」
「手当と仰いますと?」
「例えば、相当額を払って申立を撤回させるとか」
「先生、そんなことをすればこちらの非を認めたことになりますよ。ひいては、大学病院そのものの尊厳を大きく損なうことに繋がります」
 横から新田が口を挟んだ。
「じゃあ、どうするんだ?」
「もちろん受けて立ちます。学部長も学長もその方針です」
「えっ⁉ もう報告がいってるのか。まいったな。なんで先に僕に言わなかったんだ」
「先生には失礼とは思いましたが、この手の訴えに対処するにはなんといってもスピードと、学内の意思統一が必要不可欠ですから。
それに、顧問弁護士の川上先生は、この手の訴訟を捌くのはお手のものです」
「そう。で、僕に何をしろというんだ?」
「先生には、川上弁護士の指示に従って、無過失の論拠となる医学的見解を資料化して頂くことになります」
「指示に従ってねぇ。ま、仕方ないか」
「そうです、そうして下さい。ただ、申立人は、情報開示請求を行って、既に、手術記録、看護サマリー、MRI・CT・レントゲンのフィルム等一切の資料を入手しています。ですから、調停前にこれらに手を加えることはくれぐれも無しにして下さい」
新田がそう言った途端
「失敬な‼ 僕がそんなことするはずがないだろう!」
 村中がこめかみに青筋を立てて怒鳴った。

 十一月二十二日。宮崎南家庭裁判所第二調停室、第一回目の調停。
 村中は、初めての経験に少なからず緊張した面持ちで部屋に入り、裁判官の右側面の椅子に座った。
 鶴のような裁判官の左右にはでっぷりした調停人が一人ずつ座っていた。
 宮崎学院大学顧問弁護士の川上は、鼈甲縁メガネの奥の目を細め、余裕の表情を浮かべて村中の隣に、その隣の席に林と新田が座った。
 相対するように、村中たちの正面に、太郎と代理人の渡辺弁護士が座っている。
「第一回目の調停を開始します。まず、申立人の意見から述べて下さい」
 裁判官の指示により、渡辺が長髪をかき上げ、意見申立を開始した。  
「脳外科の手術においては、静脈の損傷はかなりの頻度で起きるが、他の脳腫瘍の手術と比較して、髄膜腫手術時の脳出血の頻度は高く、6〜7%と言われています。
 また、円蓋部髄膜腫摘出術の周術期合併症として、上矢状洞損傷、その他の静脈損傷、硬膜下または硬膜外血腫が指摘されています。
 硬膜下血腫が生じれば、閉鎖腔である頭蓋内コンパーメントは限られた容積ですから、頭蓋内圧は当然上昇します。頭蓋内圧が上昇すると脳血流の低下による脳低酸素状態を起こし、さらに、脳腫脹を憎悪させる悪循環を生み出すこととなります。
 脳腫瘍手術の場合、頭蓋内圧のコントロールは極めて重要であり、頭蓋内圧の亢進による脳腫脹、脳ヘルニアは深刻な術中合併症であります。
 申立人の手術では、周術期に急性硬膜下血腫が生じ、これによって頭蓋内圧の上昇による脳ヘルニアが惹起され、障害が残りました。 申立人に生じた左前頭部の急性硬膜下血腫は、村中助教が行った手術において想定できない合併症ではなく、十分に予見可能性を具備していたものでした。腫瘍除去による内減圧を行っても脳腫脹が治らない場合には、速やかに合併症の有無を確認し、硬膜下血腫切除及び出血点の止血措置を行うべきでした。にも拘わらず、時期に遅れた処置のため、申立人を現在の状況に陥らせたものである点で医療機関としての注義務違反が存在する、と判断せざるを得ません」 
 村中の注意義務違反をそのように指摘した。
 さらに、本件手術に伴う硬膜下出血・血腫に対するリスクの把握状況、その回避のための対策とその効果、手術中における脳膨張の程度、膨張に対する原因の探索・検査・対応、左硬膜下血腫の確認、血腫の除去につき経時的にどのような経緯を辿ったかについて、根拠となる資料に基づいた書面での説明、手術を記録した写真・ビデオの提出、本件で生じた脳ヘルニアの種類を明らかにし、それにより陽子に生じた障害との因果関係についての認識を明確にするように、との求釈明を行った。その上で、責任に基づいた適正な損害賠償を行うように大学側に要求した。
「大学側は、申立人の求釈明に対し、どれ位の期間があれば応じることができますか?」
 裁判官が訊ねると、川上が立ち上がり、「一ヶ月もあれば十分です」涼しい顔で答えた。
 村中は、川上を見上げた。川上は、泰然として笑みさえ浮かべていた。
 裁判官は、スケジュール帳を確認した後、「それでは、次回は十二月二十六日午後二時からとします」
 と告げた。
 双方が調停室から出た。
 帰りを急ぐ太郎の所に新田と林が近寄り、名刺を手渡して「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 太郎は、無表情で名刺を受け取り、渡辺とともに帰って行った。
 その様子を眺めていた村中は、「頭なんか下げるなよ、みっともない」不機嫌な顔になって心の中で毒づいた。
 
 十二月二十六日、第二回調停。
 川上は、村中の注意義務違反に関し、全てを否定して反論し、損害賠償支払いを拒否した。
「通常は、右前頭部の髄膜腫による合併症においては、まず、同側に何か起こったことを疑います。
 村中助教は、手術時に、術中エコーなどで右大脳半球の異常を検出できないかと考え、第一にエコー検査を施行しました。しかし、右の病変を描出できなかったため、左の前頭開頭を行って、急性硬膜下血腫を発見できましたが、これが、時期に遅れた処置とは考えられません。
 病変が描出できない場合、速やかに閉頭し、頭部CT検査を行うという処置を取る場合も考えられますが、もしそのようにしていれば、急性硬膜下血腫の発見は、さらに一時間程度遅れた可能性があり、予後はさらに悪くなったと推測されます。
村中助教が行った手術において、脳腫瘍の程度に関しては、開頭し、硬膜を切開した時点では腫瘍による脳腫脹が認められるのみであり、左脳の硬膜下血腫は存在しませんでした。
 腫瘍摘出中に脳腫脹が強くなり、十一時十五分に血圧上昇などのバイタルサインの変化が確認されています。
 その後、村中助教は、速やかに腫瘍摘出術、エコーなどによる右半球の脳出血の検索を行い、左の開頭、血腫除去を行っています。血腫除去が終了した時刻は、十一時四十五分であり、わずか三十分のうちに対処しているのです。従って、申立人代理人指摘の注意義務違反は存在し得ません」
 村中を始め、複数の他大学病院脳神経外科教授たちとの十分な事前検討によって導き出されていた結論を、川上は自信たっぷりに裁判官に訴えた。
 また、術後、陽子に残った障害については、左の脳圧が上昇し、脳幹部を右にシフトさせた結果、テントの端で右中脳が損傷を受けるといういわゆるカノーハン切痕が生じたため、と結論づけた。
「申立人の意見はありますか」
 裁判官は、そう言って太郎と渡辺を見た。
「ありません」渡辺が応えた。
「それでは、次回調停までに、申立人は相手方主張に対する反論と論証を用意して下さい。いつ頃までに可能ですか?」
 裁判官の問いかけに、渡辺は、しばらく躊躇した後、「少なくとも四ヶ月位の猶予を頂きたいと思います」と応じた。
「それでは、申立人と相手方とのスケジュール調整をして、裁判所で第三回調停の期日を決定するということでよろしいですね」
「はい、そのようにお願いします」
 両弁護士が同時に返事をした。 
 村中は、自分が行った手術についての見解を、渡辺が誰に求めるのかが気にかかっていた。が、誰であれ、脳神経外科を専門としている医者で、ある程度の権威のある人物となると限られてくる。彼らがこのオペに注意義務違反があった、などという見解を示すはずがない。狭い脳神経外科専門医の世界で、そのような挙に出れば、この世界からはじき出されるのは分かりきっている。そんなリスクを冒す者がいるとはとうてい思えない。

 年が明け、平成十九年になっても家庭裁判所からの通知はなかった。
 村中が川上に電話すると、
「申立人は、きっとコンサルトに応じる医者が見つからないんでしょう。予想されたことです。まぁ、ここは相手の出方をゆっくり待つことにしましょうか」
 と、相変わらず自若とした口ぶりで言った。
 二月末、裁判所から、五月十二日午後二時から第三回目の調停を行う旨の通知があった。 調停までの期間が長く空いていることが、川上の言を裏付けている、村中は、そう確信してほくそ笑んだ。

 渡辺は、村中が行った手術についての見解を求めるため、過去の裁判で原告側証人として世話になった、清陵大学脳神経外科中野教授に電話を入れた。しかし、「僕は今研究で忙しくて、申し訳ないが君の意に添うことはできない。心当たりに連絡を取ってはみるがね」と、やんわり断られた。
 過去の判例や資料も調べ直してみたが、他の症例に比べ、髄膜腫手術関係のものはそう多くはなかった。
 渡辺は、専門医で、ある程度の権威があり、かつ手術についての見解を示してくれそうな医者に片っ端から電話をかけた。
「なんで僕がそんなことに関与しなきゃならないんだ!」
 けんもほろろに、電話を切った医者もいた。
 諦めかけていたころ、一本の電話があった。
 中野教授からだった。
 大学時代の同級生で、脳神経外科の教授をしている葛西という男が、話してもいい、と言っているとのことだった。
「先生、ありがとうございます。ほんとになんとお礼を申し上げたらいいか……」
 渡辺は、受話器を持ったまま何回も頭を下げた。

 三月二十八日。渡辺は京都に飛んでいた。帝都大学脳神経外科葛西教授のコンサルトを受けるため、陽子の手術記録・看護サマリー及び画像等一切を持参して。
 口頭によるコンサルト及び匿名を条件に申し込みを受けた葛西教授は、渡辺が持参した資料を丁寧に読み解いていった。そして、小一時間がたったころ、渡辺の方を向いて、おもむろに口を開いた。
 教授室のソファで待っていた渡辺は、思わず身を乗り出した。
「この宮崎学院大学でのオペには注意義務違反は認められませんね」
 一瞬、我が耳を疑った。
「過失なし、ということでしょうか?」
「そういうことです」
「失礼ですが先生、そう結論づけられた根拠を教えて頂けますか?」
 渡辺が首をかしげながら訊ねた。
 葛西教授は、淡々と説明を開始した。
「本件では、外科手術を行う必要性及び緊急性が極めて高く、経過観察ないし放射線治療により外科的手術を回避することは医学的に考えられません。
 腫瘍のサイズからして、この患者に症状が出てきていないのは通常は不思議なくらいで、症状が出る寸前と考えられ、速やかに摘出する必要性があったことは間違いありません。
 画像所見においても、脳の正中線偏位及び広範囲に腫瘍のまわりに脳浮腫が生じている所見が認められ、血管も圧迫されている。腫瘍のサイズからしてγナイフの適用とはならないことは明らかです。
 本件のように右前頭葉の髄膜腫全摘手術において、左硬膜下血腫が生じることは非常に稀であり、術前・術中にこの事態を想定することは極めて困難です。
 左硬膜下血腫が生じた原因については、髄膜腫の全摘により、圧迫が減圧されたとき偏位が戻り、橋静脈が破綻を来して血腫が生じた可能性が考えられます。しかし橋静脈は一般的に、術中の損傷が稀有な箇所であり、また、対側でもあることから、執刀医の手技の巧拙により生じたものとは考えられません。さらに、手術下での脳膨張の原因を、直ちに橋静脈損傷によるものと判断するのはすこぶる困難です。
 脳膨張の可能性について、本件手術における左硬膜下血腫の発生頻度が非常に低いことからすれば、まず、髄膜腫摘出手術を実施し、かつ超音波検査が直ちに可能であった右半球を探索したことは適切な対応であったと言えます。
 術中の脳の腫れが反対側の原因によることは同側によるものの可能性よりも低く、右半球の異常が認められないことを確認したうえで、左半球の異常を確認するため、左前頭開頭術を選択したことは、適切かつ勇気ある選択であったと思われます。
 左前頭部開頭までの時間も、脳外科手術の一般的基準からして早いことはあっても遅いとは言えないし、左硬膜下血腫確認後の対応も疑問と思える点はありません」
 渡辺は、葛西教授の説明要旨を後日文書にすることにして、まず電話で太郎に伝えた。
「そうですか、過失なしということですか」
 明らかに気落ちしたと分かる声が受話器から聞こえた。
 しかし、気を取り直すかのように、
「他の医者にも見解を求めることができないか、大学や高校の同級生繋がりやネットで、私なりに方々手を尽くして医者を探していたんです。倉田教授が同級生だったことには驚きましたが、同級生の方は残念ながら協力を得られませんでした。しかし、ネットで検索をかけたところ、医療事故調査会というところが脳神経外科の専門医を紹介してくれるということがやっと分かりました。私が直接会って話を伺いたいのですが、それはできないそうで、医者から話を聞けるのは弁護士に限る、ということでした。それで渡辺先生、あと一回だけ、ぜひ力をお貸し下さい。その医者が同じ判断を下すのであれば、非常に悔しいですが、私たち夫婦は和解申立を取り下げざるを得ませんし、民事訴訟に持ち込むことも諦めざるを得ません」
 そう渡辺に頼んだ。葛西教授の見解にはとても納得できない、という切実な気持ちが込められていた。
 渡辺は、本件の弁護依頼を受けた際、相手方が和解申立を拒否した場合は民事訴訟に持ち込むことを視野に入れていた。
 しかし、コンサルトに応じた複数の医師が、村中のオペについて、注意義務違反なし、と判断した場合は、和解申立を取り下げ、民事訴訟もおこさないとの方針を立てて、太郎もそれを了承していた。
 過去の医療過誤民事裁判において、証明力のある疎明資料や、被告側が行ったオペに注意義務違反が存在したことを証言する証人を原告側が呈示できない場合は、ほとんどの場合、原告側敗訴の判決がでているためだった。
 渡辺は、しばらく考えた後
「分かりました。私ももう一度だけ頑張ってみましょう」
 そう返事した。
 後日、渡辺は、一縷の望みをもって医療事故調査会から紹介された関西大学脳神経外科の東田教授を訪ねた。
 東田教授は、
「村中助教による頭部髄膜腫の開頭腫瘍摘出術に注意義務違反は認められない」
 と、葛西教授と同一の見解を示した。
 渡辺は、二人の医師が『注意義務違反なし』との判断を下した以上、本件調停申立は撤回するしかない、そう判断した。
 太郎は、どうしても諦めきれなかった。
 二人の教授以外の脳神経外科専門医により、過失あり、との見解を得る必要がある。そうしないことには、和解申立で勝つことはできない。
 ネットで検索をかけ続けた。そして、やっとのことで、医療過誤に対する専門医の見解を提供する東京の弁護士事務所を見つけ出した。 
 十万円の手数料を振り込み、申し込んだ。
 その弁護士事務所の女性事務員から、資料があれば送付するように電話で指示され、手術記録、看護サマリー、MRI等の画像フィルム等手持ち資料全てを郵送した。
 太郎は、この弁護事務所が示す見解に最後の望みをかけていた。
 第三回調停日の三日前、回答書が届いた。 そこには、二人の大学教授が指摘した内容と大差のない事由を論拠として、『本件手術に注意義務違反は認められません』、との見解が明示されていた。
 宮崎学院大学以外の脳神経外科専門医三人が、村中の手術に『注意義務違反は認められない』との見解を示したことから、渡辺は、村中に対する追求手段を断たれたままの状態で調停に臨まざるを得なかった。
 五月十二日、第三回調停日。
「申立人、前回の相手方申立に対する反証を呈示できますか?」裁判官が訊ねた。
「その点に関しましては、多少時間がかかるかと思われます」
 渡辺が答えながら太郎を見た。
 太郎は、固い顔で空間を見ていた。
 渡辺が続けた。
「申立人は、本件に関し三人の脳神経外科専門医の見解を得ています。しかし、いずれも当方の意に添うものではありませんでした」 村中は、笑みを浮かべて太郎を見つめていた。
「コンサルトをお願いした各大学の脳神経外科専門医三人が、当方と異なる見解を示し、それ以外の人物も見当たらない以上、誠に遺憾ながら、本調停の継続は困難と考えます」
 渡辺が調停申立撤回について言及した。
 そのとき、突然、太郎が立ち上がった。
「村中助教。あなたが行った家内の手術、百歩譲って過失がなかったとしても、手術前あんなに元気で日常生活を送り、現代精鋭選抜絵画展で入賞するほどの油絵を描き、今後が期待されていた家内を、要介護度5の障害者にし、彼女の全人生を奪ったこの手術は、果たして成功したと言えるのでしょうか? 今ここで、はっきりとお答え頂きたい」
 太郎は、顔面を紅潮させながら、苦渋に満ちた声で絞り出すように言って村中を見据えた。村中は、顔をかすかに歪めて俯いた。 
「その件に関しましては、本件調停とは全くの別問題であり、本調停において論議することには馴染まない、と考えます」
 すかさず川上が裁判官を見ながら口を挟んだ。
「相手方弁護人指摘のとおり、本調停の場で論議する問題ではありません。従って、申立人は別の場で論議して下さい」
 裁判官の言葉に、今度は太郎が唇を噛んで下を向く番だった。
「ところで、先程、申立人から、本件調停の継続は困難である旨の意見が出ましたが、申立人、本調停申立は撤回するということでいいんですね」
 裁判官の両隣に座った調停人も太郎と渡辺を交互に見つめた。
 渡辺が太郎を見た。太郎は、口を真一文字に結んだまま小さく頷いた。
「裁判官の仰るとおり、申立は撤回致します」
 渡辺が答えた。
「ただいま、申立人代理人から本調停撤回の意思表示がありました。したがって本件については、当裁判所としても申立の撤回を決定したいと思います。本当にそれでいいんですね?」
「はい……、結構です」
 震える声で太郎が応えた。
 終わった……。
 村中英一と太郎は、それぞれの心の中で、安堵と苦渋という相反する思いを抱いて呟いた。
 廊下に出ると、新田と林が村中に駆け寄り、「先生、やりましたね」そう言ってにんまりした。村中は、「ああ」と曖昧に応えて、川上に「ありがとうございました」と、軽く頭を下げた。
 太郎が、眉間に深い皺を寄せて、じっとその様子を見つめていた。
 大学に帰った村中は、新田と林を伴い、脳神経外科の倉田教授、鵜川医学部長、里中学長に結果報告と謝罪をして回った。
 倉田は、
「まあ、良かったじゃないか。相手方が申立を引っ込めてくれて。これからは、こんなことがないようによろしく頼むよ、君。そうでないと、僕も二度も庇いきれないからね」
 恩着せがましく言った。
 なんの手助けもしなかったくせに何を今さら、村中は、心の中で舌打ちしながら、「はい、分かりました。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
 鵜川医学部長は、「面倒なことにならずに良かったね。ご苦労さん」笑顔でそれだけ言った。
 里中学長は、無言でただ頷いた。
 ひと回りした村中は、医局に戻った途端、全身に重い疲労を感じて自分のデスクに座り込んだ。
 今回の件が出世に直接的に響くことはないだろうが、同期入局の連中には確実に遅れをとったな、村中は、心の中で呟いてぬるくなったコーヒーを一息に飲み干した。

 村中の日常が戻った。
 週四回午前中の外来診察、週二回のオペ、医局研修医たちの指導、教授・准教授の講義教材の準備、論文や学会発表用パワーポイントの作成など忙しい毎日が続いた。
 もう二度と重い障害が残るようなオペをすることは許されない。何かに追い詰められたような緊張感が、村中に重くのしかかっていた。
 いつまでも陽子のオペを引きずっているわけにはいかない。村中は、オペ技術のより一層の向上、ほかの研究機関などの論文の読み込みに全力で取り組み、学会発表も以前にも増して積極的に行うようになった。
 倉田に頼み込んで、難しいオペの執刀医も買って出た。
「村中君、君、最近えらく張り切っているようだけど、何企んでるんだい?」
 真顔で訊ねる倉田に
「企んでることなど何にもありません。ただ、オペはうまくいっても、後に重度の障害が残る患者をもう二度と出したくないだけです」
 きっぱりとそう答えた。
「それはそれはご立派なことで……」
 倉田は、皮肉たっぷりに言った。
 なにかに憑かれたように休みも取らず仕事をする村中に、沙織は、
「あなた、仕事に全力で取り組むのはいいんだけど、体壊したら元も子もないからね」と
心配そうに顔を覗き込みながら言った。
「大丈夫。僕は学生時代ラグビーで鍛えてるから、心配しなくていいよ。ありがとう沙織」
「それはそうだけど、最近のあなたを見てると、何ていうか、急ぎすぎっていうか、功を焦ってるっていうか、そんな感じがして」
 沙織の指摘はいつも的確だ。村中は素直に頷いた。
「僕は、この前のオペのマイナスを取り返さなくちゃならないんだ。そうでないと教授への道は開けない」
「ふ〜ん、教授への道ねぇ。私は、今のままのあなたが一番好きだけどなぁ」
「僕がずっと助教のままで構わないわけ、君は?」
「そう。私は、あなたが好きなの。助教であろうが教授であろうが、関係ない」
 村中は、思わず沙織を抱きしめた。
 沙織が心配してくれたとおり、最近は、外来診察やオペの後、医局に戻って、シロップをたっぷり入れたコヒーをがぶ飲みすることが多くなっている。それに、待機日以外の晩酌の量も増えた。自分の体重がこの一年の間に、五キロ増えたことも沙織は気づいている。
 僕たちに子供はいない。夫婦二人だけの生活だ。しかし、それを不満に感じたことは一度もない。みんな沙織のおかげだ……。
 村中は、沙織を抱きしめながらしみじみそう思った。
 沙織の指摘を受けて、村中は、仕事に支障が出ない範囲で休日にはできるだけ休むことを心がけた。沙織と近くの運動公園でジョギングをしたり、映画を見たり、沙織の好きなイタリア料理を食べに行くようになった。
 毎日が穏やかに過ぎていった。
 村中は、心の平穏を取り戻しつつあった。
 そんなある日、村中のマンションに郵便物が届いた。
 病院から帰った村中は、着替えを済ませると、リビングのソファに座り、裏面に佐藤太郎と記名してあるA4版の茶封筒を開けた。
 中からヴァーミリオンの詩集が出てきた。
 表紙には、佐藤太郎第二詩集『ふたり』という文字が、毛筆の白抜きでくっきりと書かれていた。オペを受ける前の陽子の筆によるというその字は、なかなかの達筆であった。
 詩集には『謹呈』のカード一枚が挟まれているだけで、他にはなにも同封されていなかった。村中は、ゆっくりとページをめくっていった。あの太郎のいかつい外観とは、およそかけ離れたイメージを抱かせる多くの詩が並んでいた。
 オペ前に何度も行ったインフォームド・コンセントの際、退職したら海辺の街で絵を描いたり、魚釣りをしたりして暮らすのが夢です、と笑顔で話していた佐藤夫婦の声が聞こえてくるようだった。彼らには、まだ夢を叶える大きな可能性が残されていた。
 ページをめくっていた村中の手がふいに止まった。『ありがとう』という詩だった。
 オペをした自分に叩き付けるように、何度も何度も、反語的に『ありがとう』と繰り返されるその長い詩は、拘縮しねじ曲がった陽子の左手を、切り取られた鶏の足に例えていた。
 ありがとう
 ありがとう
 ぼくの太陽を壊してくれて
 ぼくらの一生を踏みにじってくれて
 ありがとう
とのくだりに、村中は、太郎の激しい憤りと執刀医の自分に対する強い怨念を感じ、胸の真ん中を鋭い棘が通り抜けるような気持ちに襲われた。
 翌日、医局に行くと倉田が顔を見せた。
「村中君の所にも送ってきた? 佐藤さんの詩集」
「ええ、昨日送られてきました。僕の自宅に」
「自宅に? 佐藤さん、君の自宅住所を知ってるわけ?」
「どうして住所を知っているのか僕にも分かりません」
「ま、それはそうとして、どう思うこれ?」
 倉田は、そう言ってヴァーミリオンの詩集をひらひらさせた。
「そうですね……、なんというか僕に対する怨念というか、不満というか……もの凄く強いようですね」
「著者略歴を見て驚いたよ。佐藤さんのご主人、高校の同級生なんだ。和解申立を自分で取り下げておきながら、忘れたころにこんな物送ってくるなんて、いったい何を考えているんだろうね、全く」
「そうですか、教授と同級生ですか」
「ま、同級生といっても同じクラスになったこともないし、部活が同じだったということもない。気にする必要はないよ。それより、村中君、君、今後の対応はくれぐれも慎重にな。間違っても謝罪の手紙なんか書くなよな」
「ええ……」
 今後、教授を目指すためには、倉田の指示に従う他ない、村中は、改めてそう心に決めた。
 夕食時、沙織に話すと、沙織は一瞬顔を曇らせた。
「あなたが決めたことに私は反対はしません。でも、あなたの中に、釈然としないものが蠢いていることも分かっているつもりです。私は、詩集を受け取ったお礼の手紙くらいは書くべきだと思いますよ」
「倉田教授は、書かない、と言っていた」
「どうなさるかはあなたの判断です。でも、医者としてこの問題を乗り越えなければ、例えあなたが教授になったとしても、良心の呵責めいたものが心の中に残ると思います」
「……」
 村中は、自分の心の中の迷いをズバリと指摘されたように黙り込んだ。
 謝罪ではなく詩集のお礼という形で手紙を書こう、村中はそう決めて、夕食後、パソコンに向かった。

 拝啓 佐藤太郎様

 そう打ち込んだ途端、手が止まった。
 頭の後ろに両手を組み、ふーっ、と大きなため息をついた。
 心の中に、次々と湧き出てくる小さな気泡を払いのけるように、村中はキーボードを叩き続けた

 桜咲く季節が訪れましたが、まだまだ少し肌寒い日が続いております。
 この度、第二詩集『ふたり』をお送り頂き、ありがとうございました。
 陽子さんにおかれましては、お元気にされているかといつも気にはなっておりましたが、私が何度ものこのことお見舞いに伺っても、
気を悪くされるのでは、と思いご遠慮させていただいておりました。また、このようなお手紙を書くことさえも、気持ちを逆撫でするのでは、と思っておりますが、詩集をお送り頂きましたので、何のお礼も言わない方が失礼と思い、お手紙を書かせていただいております。
 詩集ですが、隅から隅まで読ませて戴きました。私の心に強く突き刺さるところもありましたが、何の弁解の余地もありません。ただただ、陽子さんが今後も少しでもよくなられることを願うだけです。
 まだ陽子さんが入院されていたころ、退職したら海の近くに居をかまえて過ごす、と言われていたのを覚えています。詩集の中で、ご自宅にエレベーターをつけられたということが書かれておりましたので、陽子さんもご自宅に時々帰られているのかな、と察します。
 海辺の街で過ごすことができない無念さを抱いた佐藤さんのご胸中を察し、大変胸が痛みます。本当にご無念だと思いますが、私はただ、佐藤ご夫婦に今後、たくさんのいいことがあるのを願うことしかできません。陽子さんがもっともっと良くなられることを祈っております。
 『ふたり』の詩集ありがとうございました。 お礼の手紙とさせて頂きます。
  宮崎学院大学付属病院脳神経外科
               村中英一
  敬具

 途中で、やめようか、との思いが何度も心をよぎった。しかし、自分の本当の気持ちを佐藤夫婦に伝えなければ、沙織が言うように、一生、後悔という重い鎖から逃れることはできないだろう。そしてそれは多分、医者としての自分の成長を妨げる大きな箍(たが)となってゆくだろう。
 オペの際、予期しなかった左側頭部橋静脈からの出血を止めるため、バイポーラーで焼灼したときの肉の焼ける臭いや、焦った気持ちまでもがまざまざと蘇ってきて、村中を慌てさせた。
 陽子は、これからも川平法を取り入れた最新のリハビリを受け続けるだろう。少しでもオペ前の生活に近づき、QOLを向上していって欲しい。村中は、心からそう願った。
 やっと書き上げた手紙をプリントアウトして読み直し、何カ所かを訂正して封筒に入れた。「明日、必ず投函しよう」村中は、気持ちを確認するように呟いて、パソコンの電源を落とした。


散文(批評随筆小説等) 術後 Copyright 草野大悟2 2015-03-08 00:07:13
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