夢中
葉leaf




夢中になってしまうのは過去の自分との対話。昔の日記帳に綴られたもはや綴ることのない甘い苦しみが、私にその混乱を届けるので、今の私は軽やかに処方箋を手渡す。私の成長は降りかかる災厄に応対する行動リストの充実だったから。私はずっと同一でなかった。瞬間瞬間ごとに別人になり、一瞬前の自分とだって別人として対話できる。瞬間ごとの自己の新生を確かめるために、私は過去の光を現在の新しい方角へとひるがえして反射する。

夢中になってしまうのは、待望のCDの聴きはじめ。未知のCDは私に未知の心臓を調達してくれるから。音楽のリズムと流れに呼応するように、私の心臓は未知の血液を流し始める。未知のものがいつまでも未知でありつづけるように、私は音楽を覚えようとはせず、ただ華やかに滑っていくための現在を調達し続ける。いずれ既知のネットワークに埋没してしまう、そうなる前のみずみずしいひらめきを心臓にともす。

夢中になってしまうのは、朝陽が風景を照らし出し徐々に明るくなっていく過程。この目の前の小さな風景のドラマと同じものが、世界中の庭先で、特に凝視されることもなく過剰に美を振りまいている。人間の感じ取る美など、世界が放っている莫大な美に比べたらまるで些細だ。だが、その世界の莫大な美の些細な一部分でさえ、世界を包含するような大きな宇宙を内に秘めている。

夢中になってしまうのは、気の合う友達とのおしゃべり。私たちは怠惰に逸脱しながら、その逸脱にいくつもの鉱脈を見出す。自分たちの中に眠っていた休憩中の生物を理由もなく叩き起こし、話の筋に泳がせることで自由に飛び跳ねさせる。話はますます逸脱し、私たちの未開の土地がどんどん耕され、やがて草が生え木が生えるための土壌になる。筋からはぐれて迷子になるために、私たちは自分たちをほどいていく。


自由詩 夢中 Copyright 葉leaf 2015-02-23 06:31:40
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