夜更けの紙相撲・如月のきんぴら
そらの珊瑚

 ささがきに思い出すのは小刀で鉛筆削った美術室/午後

ごぼうのささがきは、どこか鉛筆の芯を削ることに似ている。
違っているのは、ごぼうに求めるものは皮と実の部分であって、鉛筆に求めるものが芯の部分であるかの違いだろうか。
おそらく鉛筆を使い始めた幼児の頃から、鉛筆削りなる便利なものがあったので、高校生の頃に、美術の授業で小刀を使ってそれを削るのは、初めての体験だったと思う。
力を入れすぎれば、鉛筆の断面は無残にえぐれる。
力を抜きすぎれば、それは肝心の芯のところまで到達出来ない。
力加減というものは、実に難しい。
鉛筆の六角形にそくした二等辺三角形を切り出し、その先に長過ぎもせず、さりとて短か過ぎもせず、書くことに適切な長さに切り出した「芯」を、創り出すというこの技は、初心者にとって、ものすごく難しい課題だった。

当然のごとく、私の作品は不可であったため、その夜、家で鉛筆を削っていたのは言うまでもない。

けれども私がそうやって一生懸命になった鉛筆は、その先にある「絵を描くこと」その目的のための手段、でしかなかった。

おそらくこの二十年、ほぼ毎日といっていいほど包丁を握ってきたと思うのだが、だからといって熟練にはまだ程遠い。
 

 水を張った銀色のボオルに沈んでゆく、ごぼうの断片。
 躊躇なく彼らは、アクを吐き出す。
 半円の世界は、うすく色づき、次第に錆色に変色していった。

今日のおかずのひとつである、きんぴらごぼうのための手段、でしかないけれど、それらが美しいと、誰かから「可」をもらったようで嬉しくなる。


散文(批評随筆小説等) 夜更けの紙相撲・如月のきんぴら Copyright そらの珊瑚 2015-02-21 10:06:04
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