Miz 6
深水遊脚

 公園を歩く澄花さんと私のすぐそばで鳥の鳴き声がした。目を合わせた私たちは、息を潜めて足音を消して、鳴き声のする椿の木にそっと近づいた。鳴いていたのはメジロだった。少しだけ鳴きにくそうにしていたけれど、逃げることはなく、鳴くこともやめなかった。澄花さんと私は立ち止まってしばらく静かに見守っていた。メジロが飛び立ったのをみて、おもむろに歩きだした。

「澄花さん、お仕事の時間は大丈夫ですか?」
「今日は夕方4時に出勤だから3時くらいまで大丈夫。よかったらそれまで一緒にいない?」
「いいも何も。私もそうするつもりで、薫子に会ったあと携帯にメールしようとしてた。そしたら、いるんだもん。びっくりしたわ。」
「私も驚いた。お話しなければいけないと思っていたことたくさんあったから、マミちゃんほど会う気満々ではなかったけれど、こんなふうに一緒に過ごせて嬉しい。」
少し間があって、澄花さんが思いきったように話した。
「マミちゃん、私の仕事のこと知ってるの?」
「間違っていたらごめんなさい。セックスワーカーですか?」
正直に知っていることを伝えた。澄花さんの顔が強ばったように感じた。身近な人にバレている。そんな警戒感だった。形のうえでは個人情報の特定であり、セックスワーカー相手に、してはいけないことだった。私は澄花さんのいまを知ったいきさつを、できるだけ丁寧に話そうと思った。
「薫子の死があって、付き合っていた彼氏が葬式にも来なくて、それどころか薫子とのいろんな話を周囲にばらまいて、それが噂になって。その時以来、心のなかで男と戦っている気がする。でも、薫子の気持ちも知っていたし、そのなかには愛欲もあったから、セックスをタブーにするタイプのフェミニストも嫌いなの。ネットでいろいろ調べた。ほんの少しでも信じていられる言葉を探して。不思議なもので、セックスワーカーのブログやツイッターに、読んでいて心地よいものがあった。そのなかでミネコさんの『下弦の月』が特に好きだった。」
「私の書いているブログ、間違いないわ。でもどうして私だと分かったの?」
「小さい頃、薫子と一緒に澄花さんの宝石箱、よく開けていたの。そこでみたアクセサリーと同じものを、ブログ画像でミネコさんが身に付けていたことが多かったから。あとは下着の趣味かな。家に遊びに行ったとき干してあったり畳んであったりしたもの、お洒落だなと思ってみてた。そのときのといまのとでは違っているかもしれないから、これは雰囲気かもしれない。」
「そっか。そんなところから割れてしまうのね。」
私はだんだん自分がしたことを理解した。
「ごめんなさい。こんな探るような真似、ひどいことですよね。」
「いいえ。マミちゃんは、私に対して、ひどいことはしていないわ。マミちゃんは鍵を持っていたの。誰でも持てる鍵ではない。いい人でも縁のない人には持てないし、セックスワークを恥とみて、私に恥をかかせようとして探ろうとする人には絶対に持てない鍵。」
「でも……」
「よかった。一応マミちゃんは何も知らないんだとシミュレーションして、まずは私の仕事を知ってもらって、それについて誤解があったら解いて、解けなかったり、解けてもなお嫌悪感が残るようなら仕方ないな、と考えていたの。マミちゃんが自分で私の仕事を知って、そのうえで私自身を知ろうとしてくれたのならそれでいい。良すぎるくらい。」
「知ろうとはした。でも私は澄花さんのこと、まだちゃんと知らない。だから会ってお話ししたかった。」
そう言ったあと、次の言葉をためらった。ヒーロー結社のことは秘密だったから、理由はぼかさないといけない。レグラスと、それよりも大きな意識体がヒーロー結社を必要として、一度そこから外れた者から記憶を奪う。それくらいの力が働いているのだ。自分がヒーロー結社に参加するため、自分自身の正義感を見つめてみたかった。そのために意識から遠ざけた薫子と向き合う、そして薫子の母親である澄花さんをより深く知る。そんな私の目的の一から十までを、正直には話せはしない。
「職業柄、人の秘密にはあまり立ち入らないから、会う気満々の理由は聞かない。でもたいていのことには答える。……ホテルに行ってもいいわ。」
澄花さんの言葉に驚いて、目を大きく開けて見返した。澄花さんは少し心配そうで、優しくてとても真剣な目をしていた。とっさに冗談をいれて交わすことにした。
「そうね。少し待っていて。薫子に聞いてみる。」
「そう来たか。意地悪な子ね。」

 少しずるいけれど、薫子の記憶と澄花さんに向き合いたいと考えているいまの私の気持ちを、女同士の親密な関係への興味だと誤解してくれることは都合がよかった。心の奥底まで洗いざらい話したり、話しにくいこともぶつけたりするために、心と体のあらゆるレベルの欲求も解放しあうセックスは、こういうときのコミュニケーションとしては最適にも思えた。正直なところ、セックスそのものへの恐怖や嫌悪感はあった。でもこの場合はよかった。澄花さんのことはよく知っているうえに、彼女は大人で余裕がある。犯してはいけないときに境界を犯す人でもない。私は体を見せることにも、経験はないけれど女性と交わることにもたぶん抵抗はない。澄花さんもきっと。お仕事で女性の相手をするかは分からないけれど、いまの私のたいていのことは受け入れてくれそうだ。セックスをすると決めたわけではなかった。あくまでも目的は果たす。そのためにセックスをひとつの手段として残して、どんな状態になってもいいようにホテルという空間を使う。合理的だった。
「ホテルに行きましょう。私と、澄花さんと、薫子もつれて。」
私はそんなふうに提案してみた。
「……ありがとう。」
澄花さんは少しほっとした様子だった。会ったときから澄花さんが纏っていたいくつかの影が消えた。澄花さんのなかにあるものも、かなり複雑なようだった。たぶん吐き出したいのは言葉。寄り添うために私が必要になったらできるだけそれに応えたい。そんな愛おしさに似た感情が静かに沸いてきて私を満たした。

 私が澄花さんとセックスする理由は不純だった。そのぶん、澄花さんの行為はすべて受け止め、求めてくるものはすべて与えるつもりで、わからないなりに真剣に応えた。でも我慢したわけではなかった。澄花さんの肌はとてもきめ細かくて、いつまでもそれに触れてまどろんでいたかった。その唇と掌は、私が自分の体のことを全然知らないこと、愛していないことを思い知らせてくれた。唇を吸ったとき、少しも嫌なにおいはなく、いちばん近くで感じ取る温もりを五感のすべてで感じ取っていた。同じ大切な人を失ったもの同士が、同じ傷を癒し合うために飽くことなく互いの体を求めた。もっと早くこうしていればよかったのかもしれない。でも今この時でなければこの悦びを経験することはきっとなかった。

「遺書の相手」
「ん?」
「薫子が本当に好きだった相手って、マミちゃんでしょ。」
「もうみんな知っているものね。」
「誰も遺書なんて読んでなかった。噂だけで決めつけて、薫子のこととマミちゃんのことを面白おかしく話した。噂にして決めてかかった誰かの幻について、それをもっともらしく裏付けるように遺された言葉を当てはめる。それを読むとは言わない。決して。深く考えていなければ、そういう噂や決めつけに流されてしまう。迷いのある人は、迷いのない人にとりあえずすがってしまうの。私もそうだった。薫子が自ら命を絶ったときのことは、正直なところ、うまく思い出せないの。遺書はそのときから繰返し読んでいたと思う。本当に好きな人というのはわからなかった。マミちゃんとレズだったという噂がしばらくして広がった。確かにすごく仲良くしていたし、薫子は家ではマミちゃんのことばかり話していた。でも違う。同性愛なんて、うちの娘に限ってそれはない。自分でも駄目だと思う。でもそう考えていたの。」
私は続きを促すことなく聞いていた。


散文(批評随筆小説等) Miz 6 Copyright 深水遊脚 2015-02-14 08:02:43
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