Miz 5
深水遊脚

 冬の陽射しはなにか暖色系の粒子のようだった。体全体を引き締める寒さを、ほどよい負荷にしてくれる繊細さで頬をあたためた。枝の枯れた木々が覆う公園の歩道を抜けて広場にでると、水仙の花が一面に咲いていた。風は穏やかで、かつての記憶に向き合うことが素直にできそうなコンディションだった。あまり向き合いたくない記憶なので、この日がこんなに穏やかだったことは運がよかったのかもしれない。それでも思い出すのには勇気が必要だった。そしてその何倍もの勇気が、これから会う人と話をするためには必要だった。お墓参りで会うことが時々あったので世間話程度には言葉を交わしていた。お互いの身の上も大体察していたと思う。今日は少し突っ込んだ話をするつもりでいた。そのことでだいぶ固くなっていた。ほぐすために深い呼吸を何度かして、手を動かした。

 公園を通り抜けてすぐのところに目指す墓地はある。入り口の六地蔵さんに手を合わせて中に入った。何度も行ったその人のお墓に迷うことなくたどり着き、水で清めて線香をたて、手を合わせた。墓石には宮原家之墓と書かれており、手を合わせた相手は宮原薫子。私の小学生時代からの友達で、小さな頃は本当によく一緒に遊んだ。読書とマンガと映画が大好きな子だった。中学で陸上、高校でチアダンスをしてきた私とは対照的に、彼女は中学では読書クラブ、高校では創作文芸部にいた。生活のペースはなかなか会わなかったけれど、図書室に行けばいつも彼女がいた。よく喋ったし、本の貸し借りやDVDをレンタルして一緒に見たりすることも多かった。本や映画に関する薫子の熱い語りを聞くのはとても心地よかった。体を動かすのが主で、物事を大雑把に考えがちだった私にとって、彼女の語りはサプリのようなものだったかもしれない。高校は別々で、会うことも減っていった。2年生に上がる前の春休み、彼女は死を選んだ。一方的に思いを寄せてきた上級生の男子生徒と、望まないのに付き合い続け、やはり無理だと別れを切り出しても別れさせてくれず、苦しんでいた気持ちが遺書には綴られていた。それに、本当に好きな相手への恋心が綿々と綴られていた。本好きの薫子らしく、読む相手を選ぶ文章になっていた。言葉を宛てた本人にしか伝わらないように書かれていた。

「マミちゃん、来てたんだね。」
後ろから話しかけられた。私は慌てて立ち上がり、振り向いた。
「澄花さん、おし、お久しぶりです。」
薫子の母親、橘澄花さん。いまは結婚前の姓を名乗っていた。私がこれから連絡をとり、会おうとしていた人だった。そして今日は、会うだけでなく、いろいろ深く突っ込んだ話をしようとして、それまでに言葉をまとめるつもりだった。その人が、目の前にいる。
「何よ、お久しぶりでもないでしょう?よくすれ違うし挨拶してくれるじゃない。」
「いや、その、ちゃんと、ちゃんとお話ししたのが最後はいつだったか、思い出せなくて。」
「いいのよそんなの。あの子のこと、今でもこんなふうに覚えていて、理解して寄り添ってくれる人なんてマミちゃんくらい。お墓でこんなふうに時々見かけることが、どれだけ嬉しいか。まあ、マミちゃんも私も、もうこのお墓にくることは望まれていないけれどね。」
「いや、その、……」
「そんなに気を使わなくていいのよ。それに、眉間のシワ、気を付けたほうがいいわ。いまは若いからあまり心配ないけれど。」
あまりの偶然に先程からどもったり変な相槌がでたりしていたが、ついに言葉が出なくなってしまった。そんな私の奥にある言葉になっていない言葉まで、よく理解しているというふうに、澄花さんはゆっくり話した。
「お互いにいろいろ、話しておかなきゃいけなかったこと、あるね。薫子とのお話が済んだら早くここを出ましょう。あまり長居するとろくなことがないわ。」

「あ、はい。ありがとうございます。」
見当違いな言葉を返した私に澄花さんは穏やかな笑みを返し、そのあと薫子に向かい手を合わせた。私も薫子のほうをみて手を合わせ、目を閉じた。200%のうち100%は動揺を鎮めるため、もう100%はここに来るときいつもそうするように、薫子への罪を償い、許しを乞うため。

 薫子が本当に好きだった相手、それは私だった。遺書に書かれる前、一緒にお喋りをしていたときから気がついていた。弱小運動部だったがそれなりにきつく忙しくなっていった陸上部の練習に殆ど心を奪われていた私が、全く違う角度から話題を振られてそれを心地よいと感じたのは、ひとえに薫子が私をよく見ていて、私の欲しいものを察してくれて、話題を選び、話し方を工夫してくれたおかげだった。

 薫子の死はもちろん、とても悲しいものだった。遺書をみて薫子の私に対する好意を確かめたとき、その悲しみはそれなりに増した。でも薫子が好きだった本と同じ作家の本を片っ端から読んだり、一緒にみた映画を薫子の解説なしで何回もみたりしているうちに、それは悲しみという生易しい感情ではなくなった。私は薫子を裏切った。その思いは時を経て動かしようのないものとなった。墓前に手を合わせることでその罪が許されるなら、どんなに楽になれるだろう。でもきっとこれは一生消えない。せめて薫子と対話ができるなら。ここに来るとき、私は墓石ではなく薫子をみている。澄花さんも同じ。でも私が話している薫子、澄花さんが話している薫子、そして本当の薫子。どれも違う。

「行きましょう、澄花さん。」
「あら、もういいの?」
「私のなかの薫子とはまた話すこともあるかもしれない。でも澄花さんのなかの薫子と話せるのは、今日だけという気がする。」
「なんか詩人みたいね。うまくお話ができるかしら。私もあの子の親だから、くせのある言葉遣いも理屈っぽさも慣れているわ。遠慮なくかかってきなさい。」
「澄花さん、構えすぎ。」
薫子に向き合って少し心が整ったのと、澄花さんの気さくで大らかな雰囲気を感じて、言葉が自然に出るようになった。さっきまでの私こそ構えすぎだった。穏やかな風と、暖かな陽射し、そして澄花さんに囲まれて、いつもとは違う薫子に会うことができそうな気がしてきた。

 そうはいっても、当たり障りのない世間話だけして解散するのでは、会った意味がなかった。先程の澄花さんの表情をみる限りでは、澄花さんのほうにも私に話したいこと、私に聞きたいこと、そしてたぶん、私に対して抱いている反感もあるのかもしれない。澄花さんのお仕事は知っていた。セックスワーカーだった。そのことでも私は澄花さんに聞いてみたいことがたくさんあった。薫子は私とセックスしたかったのかもしれないと考えていた。中学生だから大胆に行動に出せずに、ほとんどを自分の心に仕舞い込んだ。でもTシャツと短パンでいるとき、私の体がどれだけ柔らかいか、私をうまくおだてて柔軟体操をいろいろやるように仕向けたりしていた。上手に誉めてくれたので私も調子にのっていろいろやった。膝枕をねだったり、逆に膝を貸してくれたりしたこともあった。そんなことは少しも不快ではなかった。でも全てをぶちまけられたら受け入れる覚悟はない。そのことを私よりも薫子のほうがよく知っていた。どこまでを受け入れるかはともかく、そんな部分も含めて薫子なのだ。今ならそう考える。友情、好意、愛欲、私と薫子との間では切り離す必要のないそれらを、ふつうの人たちは切り裂いていた。ときには敵意をむき出しにして。そして、私はそのふつうを盾にして、薫子の気持ちのとても重要な部分を、拒絶した。線を引いたのは私の意思ではなかった。それに気付いたとき、薫子はもういなかった。


散文(批評随筆小説等) Miz 5 Copyright 深水遊脚 2015-02-11 17:53:10
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