記憶
nonya


鏡に向かって
眠気と髭を剃り落していた朝
くたびれた自分の顔に重なるように
ふっと浮かんだ父の輪郭
丸くて憎めない
目の記憶

電車の中吊りは
気の早い春の旅への誘い
オーデコロンと加齢臭に混じって
ほのかに漂った雪解けの匂い
若すぎる土と水の
鼻の記憶

自転車のベルに
急き立てられて歩道の端に避けた
誰かが私を叱ったような気がする
懐かしい方言まじりの祖母の声
未だに「のめしこき」の
耳の記憶

紙コップのコーヒーで
うっかり火傷してしまった午後
言いかけた言葉を塞き止めているうちに
遠ざかっていった小さな背中
幼すぎてヒリヒリする
唇の記憶

眠れない夜の
座礁した意識に絡みついてくる
決してこそぎ落とせない罪の藻屑
最後に恐る恐る触った母の頬
申し訳ないほど柔らかい
指の記憶

暮らしの九十九折に散らばった
色とりどりの記憶を
きれいに並べ替えたら
隙間だらけの私の人生になるのだろう

長い間暗がりだった
記憶と記憶の得体のしれない隙間を
今はあなたの
飾らない笑顔が照らしてくれている




*「のめしこき」は新潟の方言で「怠け者」


自由詩 記憶 Copyright nonya 2015-02-04 18:37:36
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