休暇の日には
葉leaf

休暇の日には旅行に行きたい。近場の都市の小さな祭りに参加して、山車を引いたり酒を酌み交わしたりしたい。人々との瑞々しい触れ合いの中でも、自分の中の凍った寂しさはいつまでも融けないことを確かめたい。夥しい人々との交わりの中で僕はいつのまにか寂しさを見失った。寂しさは僕の中に冷凍保存された瞳の明るい少年であり、僕の全ての涙と笑顔の故郷なのだ。冷たい寂しさはいつまでも僕のポケットの中に忍ばせてあるように、そして僕はいつまでも不安な空を迎えられるように。

休暇の日には旅行に行きたい。遠くの海の浜辺に立って、海に向かって、色んな人に言いたくても言えなかったこと、言いたくても言えないことを大声で叫んで来たい。人と人との言葉のやりとりは、いつでも本当のことから逃げようとするから。大事なことを言いたくても、相手との距離を壊したくないし、相手とはもう会えなかったりするから。僕の心のほんとう、僕の心の裸のまま、その重さを、海の莫大な容積に莫大に増幅させて貯蔵しておきたいのだ。いつか僕が年老いて再びその浜辺に立ったとき、僕の誰にも届かなかった言葉が海からそのまま返されて、僕がすべてを思い出し人生の孤独に泣き崩れるように。

休暇の日には旅行に行きたい。遠くの国へ行き、見慣れぬ景色と風物の中、名所名跡を巡って歩きたい。僕がもう一度内側から生まれ変わるように、人生がひととき瞬間ばかりで構成されるように。僕の中を流れる血は、父親と母親のものであり、ひいてはこの国のものであり、僕の生活の証明としてどこまでも流れ続けていく。愛に囲まれた生活そのものであるこの血をひととき外国の全く無縁な液体で置き換えるのだ。家族や友人、同僚、共同体、国家、それらの真摯な愛情に応えるのをひととき休み、瞬間の中にまったく別人である自分を創り出していく、その儚い夢に全存在を燃やし尽くしたい。そこに晴れ上がる新鮮な空虚に再び血を流し込むのだ、僕の創造が瞬間だけ混じった血を。


自由詩 休暇の日には Copyright 葉leaf 2015-01-31 08:04:05
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