Miz 3
深水遊脚
「コーヒー豆をください。インドネシア200g コロンビア200g まろやかブレンド200g でお願いします。それとちょっとお手洗いをお借りします。」
こんなふうに帰りがけにコーヒー豆を頼み、準備してもらっている間にお手洗いで化粧を直すのはいつものことだった。でも今日のそれは、誰かに話しかけないと崩れてしまいそうで、話しかける機会をなんとか作って救いを求めたようなものだった。それを感じとり、体調を気遣ってくれた大宮さんに軽くお礼を言って、お手洗いに入って鏡をみた。やはり泣いていたようだ。スポンジで涙を拭き取り、ブラシでパウダーを乗せてファンデーションとチークをどうにか見られる状態にして、目を書き直した。応急処置的な化粧直しを終えた、とりあえずの私が鏡の向こうにいて皮肉を感じた。普段なら露ほども気にかけない日常のルーチンだったが、人のとりあえずの解釈を批判したあとではそれなりに気になった。200万人の思念の糸の集合体、控え目にレグラスは自分を紹介していたが、何という数だろう。それを相手によくもまあ、あんな大見得を切ったものだと、我ながら滑稽だった。結局は私も筋が通っていないのだ。どうもいけない。こんなふうに何でも悪いほうに考えるのは、弱っている証拠だし、弱っているときは何をしてもろくなことがない。早く帰って休みたかった。帰りの電車のなかでは文庫本を読んでいたが全然集中できなかった。
レグラスの迷いながらの正義感が妙に自分に重なった。自分の限界を悟っていて、そのなかで最善を尽くしていた。慎ましげながら誇りを口にしたことも好意的に解していた。ああいう生き方は誇っていいのだと共感した。よく知っていて、好意を抱く生き方だからこそ、それに対する懐疑もあれだけ出てきたし、それが出てきたことを自分で憎んだり恥じたりということはなかった。それから数日間、迷いながらの正義感とそれに対する懐疑心との間で揺れ動くことになった。
このことはまた、記憶が消えなかったということも意味していた。どうでもいい、関わりたくない、離れたい。レグラスとの問答以来、そう考えているつもりでいた。でも心の奥深いところでは、否定しきれていないのだった。レグラスの言っていた、もっと大きな意識体は私の記憶を消さなかった。その事の意味、正義観。そうした観念的なものより、実際に存在しているというヒーロー結社とその運営、それと意識体という存在についてをまず整理しようと試みた。どれも非現実的で、私がいま受け入れているのが冗談そのものみたいだけれど、なかったことにはできないようだし、誰もなかったことにはしてくれなかったのだから、仕方ない。
観念を離れて具体的な状況やこれからの行動を考えるとき、私はいつも体を動かす。DVDをみて覚えたダンスエクササイズに心身を委ねた。音楽をかければもう最初から最後まで自然に全部踊ってしまうくらい繰り返したものだった。いまは音楽のみでいける。
政志から聞いた話とレグラスとお喋りしたときのことを整理するとこんな感じだ。ヒーロー結社は市田家と亀山家が運営する秘密結社。正義を外に喧伝するとろくなことがない、という市田家の当主、市田幸盛の考え方から秘密主義は徹底している。レグラスは自分が神と呼ばれることを嫌っているけれど、とりあえずは神様ということになっていた。戦闘員を募るときにレグラスの力を借りて、思念の糸を辿る。思念の糸は死者のものと生者のものがあり、生者のものは、わずかに例外はあるが、一つの思念の糸につき一つの肉体が存在する。死が訪れると思念の糸は肉体を離れる。肉体を離れた思念の糸が緩やかに集まると意識体というものを構成する。意識体から離れて単独で個性を有することを選んだ思念の糸が、新たな肉体と結合して人が生まれる。
詳しくは語らなかったけれど、レグラスはたぶん、かつて自分自身だった思念の糸を辿っているのかもしれない。そう考えると辻褄があう気がした。交信可能な政志のような人間が、身体能力の高そうな肉体をもつかつての分身に接触して声をかけるのだろうと推測した。政志の話が普通に考えればおかし過ぎるのに、肯定する方向に心が動いたのはそのためかもしれない。
ヒーロー結社の構成員は、形式上は市田家と亀山家が所有し運営しているフィットネスクラブの役員または従業員ということになっていた。戦闘員となった人はフィットネスでの戦闘訓練向けメニューと週1回の演習場での格闘訓練と各自の特殊能力の研鑽が義務として課される。他の一般会員と違いフィットネスの料金が無料になり、月給が支給される。ほかに仕事がなくてもつましい暮らしならできるレベルではあるものの、それだけが社会との繋がりになる状態はよくないとされ、みな仕事を掛け持っている。守秘義務は強く求められるが、特に強制はなくても守られるくらいの忠誠心はみな持っている。
エクササイズの課題曲を終えて、ゆっくりした曲が流れた。そんなふうに編集している。なんの偶然かその曲は "Hero" 普段は歌詞の意味なんか考えずに聞くのだけれど、このときは言葉を無視できなかった。内省を通じて揺るぎない信念を自分のなかに見出だして、アメリカンドリームを追いかけるヒーロー。マライアキャリーの歌声とサビ部分の韻の踏みかたが気に入っていたけれど、いまいち現実味はなかった。前だけ向いていればそれで済むとも思わないし、皆が称賛するかたちを自分のなかに取り込み、周囲の評価を変えるということがどれだけしんどいか。上り詰めたが飽きられたスターたちが忘れられたり、ひどい目に遭ったり、おかしくなったりもしている。セレブたちの生活にも興味はなかった。たいていのことはお金よりは手間で手に入るのだ。たとえばDVD教材とダウンロードした数曲はあわせて数千円だが、それを使ってそこそこ健康な肉体を手にいれている。いちいち男手を頼らなくていいくらいのパワーもある。いまのところ誰にも見せることは考えていないが、見られても恥ずかしくはないと自分では思っている。称賛なら本当に大事な人のものだけでいい。
この考えかたは、話に聞いた市田家の幸盛さんに似ていた。だから、ヒーロー結社の秘密主義に違和感はなく、むしろ親近感を覚えた。
この文書は以下の文書グループに登録されています。
Miz