Miz 2
深水遊脚

「よかったよー。これ、ほとんど断られるんだ。慣れてるけど、凹むんだよね。だから入隊してくれるの、嬉しい。ありがとう。」
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。ところで、今からフィットネスクラブに行ってみてもよろしいですか?」

もちろん!と2つ返事で承諾し、そのままフィットネスへ、となる展開を想像したが違った。政志は急に真剣な顔になったようにみえた。相変わらず笑ってはいたから、それまでの喜び全開の顔との落差を私が感じ取ったのかもしれない。そして言った。

「いや。一度いまの話を受け止めてから、クラブには、自分の足で、来て。」

少しビックリして視線を返した。政志は笑顔を崩さず、でも真剣な目で続けた。

「入ってくれた人には必ず、そうしてもらうことにしているんだ。須田真水さん、あなたが入隊を希望されていることは皆に知らせておくから、いつでもおいで。場所は、この葉書に書いてある通り。この喫茶店から5分もかからないよ。」

いつの間にかブラジルを飲み終えていた市田政志は席を立ち、会計を済ませて外に出た。姿なき声といい、思念の糸の話といい、考えてみれば宗教の勧誘と似ていなくはない。冷静に頭を冷やしてから、気持ちを整理したあとで、本当に来たいと確かめてから自分の足で来る、というのは当然かもしれない。まして任務には戦闘が含まれる。ぎりぎりの命のやり取りをすることだってあるかもしれない。

「大宮さん、あの方はよくお店に来るんですか?」私は店主に聞いてみた。
「そうですね。よくいらっしゃいますよ。お客さまに声をかけて、何かを熱心に勧誘しているので、最初は注意したんですけど。営業妨害にはなっていないし、勧誘後のトラブルも全然ないので。それに、断られてもニコニコしていらして、それが自然だから。お店の名物みたいになっちゃって。」
「なんだか、不思議な方ですね。」

そのままコーヒーを飲み続けた。ここのコーヒーでも大宮さんの思い入れが特に強くて、私も気に入っているケニアの香りが、ぼんやりと思考の輪郭を描いていた。

(いまの話を受け止めてから、か。)

さっきの声とまだ交信できるだろうか。そう考えたとき、ちょうどレグラスの声がした。聞きたいこともたくさんあったので、そのまま交信による会話を続けた。しばらくはとりとめもないことを話していたように思う。この世間話のようなテンションからは、レグラスが神様だなんて私は思えないし、レグラスのほうでもそのように振る舞っている様子は全然ない。宗教的な意思に絡めとられることへの警戒心は消えていった。でも所々、聞き逃せない言葉があった。

……だいたい断られるの。それで、断った人は記憶を消されるの……

(何ですって?)

……もちろん全部の記憶ではないわ。市田家と亀山家のヒーロー結社について、政志君が話したほんの一部が、なかったことになるだけ。……

(そういう記憶の操作はほかにもやっているの?)

少し怒りが滲んでいたと思う。とても傲慢な気がした。

……あなたがいま怒っていること、その理由、よくわかるわ。そのことに違和感を感じてくれる人でよかった。矛盾しているし、本当に人間のことを信頼しているなら、これはしてはいけないこと。……

(その、してはいけないことをなぜしているの?)

……人間のことを信頼しているなら、と言ったわ。でも信頼できないから、ヒーロー結社は存在しているの。その存在を意識体は望んでいる。そして意識体の意思は、過去の人間の遺志の束。そう考えてもらっていいと思う。……

(思う?)

……わからないの。私に人間の記憶をどうにかするような強い力はないから。……

(意識体は、あなただけではないの?)

……私はせいぜい、200万人くらいの過去の思念の糸の集合体。交信するのがほぼ市田家と亀山家の人たちだから、昔からある集落の守護神のようなものかしら。余所者の思念の糸も入ってくるし、厳密には違うのだけれど。記憶を操作するような強い力は、もっと大勢の思念の糸の集合体がしていることね。そして、この力は濫用できないの。……

(濫用?)

……ヒーロー結社に関わる記憶を、関わりのない人から消すための、必要最低限の記憶の操作だけが認められて、それ以上は望むだけでも何らかの罰を受けるわ……

(罰を受ける?考えただけで?)

……法律では内心の自由はあるわね。もちろんそれはとっても大事なこと。だけれど、とんでもないことを考えるなら、法律には違反しないというだけでその報いは受けることになっているの。……

(とんでもないこと、あなたが何をとんでもないことか決められるの?レグラス。)

さっきから私の言葉はきついかもしれないと自分でも考えた。でも私は追及の言葉を緩める気がなかった。聞きたいことの核心に迫る言葉がふと降りてきた。その流れに身を任せた。それに私は、レグラスが答えてくれる存在だということは確信していた。


(何がとんでもないかを決めることはあなたは出来ない。だからあなたは自分の正義に照らして仮にそれを決めて、それをしている人がひどい目に遭うのをみて、直接知らないはずの意識体がそれを罰したのだという因果応報の関係を見出だして、それによって自分が正義の側にいるのだと確信している。そうなんじゃないの?)

この質問に対してレグラスはしばらく沈黙した。姿は見えないが、誠実に言葉を探しているのが何となく伝わった。

……いっそ、神を名乗ってしまえばその正しさを私のものとして主張できるのかも知れない。そうしている意識体もいくつかあると聞いている。でも私はそうしなかったの。思念の糸一つ一つは、もとは人間よ。一人一人に異なる正義感がある。それをひとつの意思に縛ることは、私は出来ないと考えている。私にだって限界はある。その限界を越えたところにある考え方を誰かが持っているかもしれない。そんなとき、その力を否定するような意識体ではいたくないの。それに、わからないことも自分なりの価値観で推定して納得しているけれど、こんなふうに考えることは大事だと思っているわ。私はこの考え方を誇らしく思うし、守って行くつもり。ある程度はヒーロー結社の人たちに共有されていると思うし、もっと広く考えれば、人間って誰でもそうじゃないかしら。確信というのとは違うわ。迷いながら、その時その時で正しいと判断していることを、時には命までかけて守る。戦闘員って、そういう人たちよ。人間もきっと。……

(限界を越えたものに向き合うことは、口では綺麗に言えるけれど、とりあえずの先入観で大抵のことは決めてしまう。そうじゃないかしら。とりあえずの把握の仕方を変えるのは誰だってしんどいから、そこは変えないでそれが正しいと言ってくれる誰かの言葉にすがる。そんな正しさで理解したつもりになって誰かをその枠に封じて、そうやって働きかけてきた様々なことが、その働きかけられた誰かにとって暴力になっていたことは、いくらでもあったわ。あなたの誇らしげな考え方は、こんなふうに暴力を生み出すかもしれない。そんな事態になっていないと言えるかしら。)

……そうね。先入観による把握で間違い、そこで間違ったまま誰かにひどいことをしてしまう。おそらくそういう間違いを犯さないでいることは、不可能よ。それだけはいえる。何もしないことで、あるいは間違った誰かを他山の石とすることで、そんな間違いを犯さないでいられるわけではないの。考え抜いた結果それが正しいと思ったなら、それが選んだ結論なら、それを行動で示すの。それがどれだけの力を持つかは、ある程度まではいくとしても結局は自分でコントロールすることができない。その限界を謙虚に受け止めればいいのだと思う。力だけで乗り越えようとすると、悲しいことがたくさん起きるし、実際それは何度も起きてきた。……

(よくわからなくなってきたわ。あなたのお話を聞いていると、命までかけて何かを守る戦闘員のあり方を、美しいものと考えてしまいそう。戦闘員になろうとしているのだから、当たり前だけれど、そのために無理矢理動いている、法律とは違う何かが本当に正しいものなのか、そのまま肯定していいものなのか。私にはわからない。)

レグラスは迷いを打ち消すために言葉を色々かけてくるかもしれない。そう考えて身構えた。しかしレグラスの次の言葉は全く違うものだった。

……いまならまだ取り消すこともできるわ。取り消すときは、取り消したいと考えるだけでいい。私もその意思を感じとるし、記憶は自然に消えると思うわ。政志くんのことと、ヒーロー結社のことと、私のことを忘れるの。……

それまでの討論とは一変して、とても穏やかに、ゆっくりと、レグラスは語った。私はなにも答えなかった。

……別に、名残惜しさを植え付けて引き留める気はないわ。参加してくれる気になったらまた会いましょう。楽しかった。人間の誰かとこんなにお喋りしたのは初めてかも知れない。交信はあったけれど、お喋りは。……

(さよなら。)

特に深い意味はなくそう伝えた。


散文(批評随筆小説等) Miz 2 Copyright 深水遊脚 2015-01-26 09:16:40
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