薬売り
山人

 ふと誰かが呼ぶ声にはっとして玄関に出てみた。やや関西訛りのする初老の胡散臭い中年が立っていた。薬売りだという。昔ながらの熊の謂だとか、小さなガラス瓶に入った救命丸など、まったく利きそうもない薬をずらりと並べた。
 そんなもんいらねぇ、と言おうとするのだが、なんとなく巧妙に遮り、薬売りはするすると勝手に会話を続ける。並べてふっと一息吐き、「いかがですか?」と言う。意気込んで喋ろうとすると、「心の薬もあるんですよ」。真っ直ぐ物怖じせず一矢射るように言葉を発した。
 行商人だから重い大きな風呂敷に包まれた箱を背負って歩いてきたのだろう、しかし蒸し暑い季節なのに汗ひとつかいていない。胡散臭そうではあるが、一本どこか筋のとおったような頑なさがあり、ロマンスグレイに近くなった毛髪をびしっと横わけにしている。
一流のマジシャンが行う巧妙な話術と沈着な物腰と所作、それらが何の変哲もない一家の玄関先で繰り広がられている。
 「心の薬?そんなものあるわけないでしょう」
なるべく意地悪く吐き捨てるように言うのだが、薬屋は物怖じせず一点を射る様に見、「利きます」、と断定的に言う。四洸丸のパッケージのような袋に入っていて、五角形である。外側に草書で 心がよくなる薬 と書かれている。橙色の少し固めの袋を振ると、からからと一〇粒くらい入っているのだろうか音がする。
「とてもいい按配になりますよ、必ず変わってきます」
淡々と事務的に医師のように言い放つと、「一〇袋入って税込みで三一五〇円です」返事も聞かぬうちに、「ハイこれ」と領収書を切ってしまっている。たしか、買う、とは言っていなかった筈だったが、言ってしまったのだろうか、誰かに指図されたかのようにぼんやりとしながらお金を渡し、薬売りを見送った。
 心が良くなる薬 なんとまぁ、大雑把でアバウトでそのまんまなんだろう、しかし、この大胆なネーミングが人を食っているようで憎めなかった。一億パーセント利くはずがないと口に出して言う。
 一回一袋食後とある。未だ午後五時過ぎたばかりだったが、冷奴を半分胃に収め、水で薬を流し込んだ。甘く酸味のある薄灰色の薬は胃に収まっていった。
 一〇袋入りのその薬は、三食後の服用だったので、ほぼ三日でなくなった。やられたな・・・、あり得ないと思っていたのだが、上手いマジシャンのような手口にやられてしまったというわけだ。舌打ちをしつつ、雑用をこなしていると、ふと聞き覚えのある声が玄関先で響いている。
「その節はどうも。ちょうど薬が切れている頃かと思いまして、伺いました」
文句を早速言おうとすると、「どうですか?毎日自分の心を見つめる事が出来るでしょう?それが大事なのですよ」
・・・とまた、薬屋は領収書を切り始めた。「今度は一〇日分です、二回目だからお安くして、五二五〇円です」
しゃがんだ姿勢でするすると板の間に領収書と共に手を這わせ、右手で薬を同じ場所に並べて置いた。要らないと意思表示するのを手で遮ると、薬屋は一呼吸置き、射るような視線で薬屋は語り始めた。
 自分の心が今何処にあるか、どういう風になっているのか、風邪をひいているのか、熱があるのか、傷がないのか。体のそこらへんが痛かったりすると薬や医者に行きますが、心がそんな風になっていても、人は無頓着なものです。自分の心が今何か困っているのではないか、その原因はなんなのか、あまり考えてはいませんよね。この薬の成分は申し上げることは出来ませんが、心の中身を見つめてあげる薬なのです。心が一番大事なのです、生かすも殺すも、死ぬも生きるも。どうですか?この薬を飲んで、少しは自分の中の心を白い紙に広げてみたりしませんでしたか? たぶん、あなたはこの三日間と言うもの、自分の心を客観的に観察者として観察し、見つめてきたのではないですか?今度はあと一〇日です。この薬を飲んだ時、或いは飲む時にでも良いのです、心を眺めてみてください。それだけ。それだけで心が良くなってくるのです。そして心というものはすべての根本なのです。人は一つのありがたいことに対し、感謝することから始まるのです。それは可も不可もない平凡な日常のなかでさえ当たり前に体験できるものです。感謝の心は待ち受けていた豊穣の土に種を蒔き、やがて成長し、それがあらたなる豊かな実を実らせ幸福を引き寄せるのです。
あなたが私の為にこうして玄関のあかりをともしてくれたこの光、この電灯というものを作り出そうとした人ですら、きちがい扱いされてきた時代があったのです。ありえない発想、つまり、心という無の物からあらゆるものは誕生したのです。あなたの周りにあるすべての事象、いえ、あなた自身の今、それらはすべて無からあなたの心が作り出した作品なのです。そのために、心が良くならなくてはどうしようもないのです。
 一気にまくし立てるように言い放つと、最後にとびきりの笑顔をまき散らかした。
いつのまにか、結局頷いたりするのみで、いいように言い包められてお金を払い、薬屋を見送っていた。
 薬が切れかけた頃、テレビで薬屋の逮捕が伝えられていた、薬事法違反である。
きびきびとした態度、眼光の鋭さ、定規で当てたような七、三の髪は煌々とひかりに照らされて輝いていた。背骨を軽く折りたたみ、一礼すると、何かをやり遂げたような安堵が漂っていた。
 「利く薬がまたひとつ消えたのか」
私は、そうつぶやき、最後のラムネ菓子を口に放り込んだ。


自由詩 薬売り Copyright 山人 2015-01-17 05:11:53
notebook Home 戻る