帰り道
吉岡ペペロ

お母さんは学生時代の友達の家に遊びにいくと必ず寝込んでしまった。
それはいつも二、三週間続いた。
そうなると私が弟の面倒をみて夕飯や朝ごはんを作るのだった。
私がそれを受け入れればお父さんとその二、三週間は乗り切ることが出来た。
私はマッシュポテトやほうれん草のソテーやカレイの煮付けを好んで作った。
牛乳と市販の粉でデザートのプリンも作った。
お父さんからお金をもらい今では考えられないことだが値段も気にせず買い物をした。
弟には玩具屋さんでモーターとか豆電球を買ってあげた。
お母さんはありがとうありがとうと言いながらずっと寝ていた。私が学校に行ってるうちにお風呂に入ったりしているようだった。
お母さんが寝込んでしまうのは学生時代の友達の家にいくとうちの貧しさに愕然とするからだった。なら何故なんどもいくのか。私には分からなかった。
でもお母さんがこうなると家族には一体感がでた。
お母さんがはやく元気になれる原因をつくろうとお父さんや弟と黙って協力するのが楽しかった。
寝る前部屋を暗くして弟とモーターや豆電球で遊んでいるとお母さんの叫び声がした。モーターはやめて音のしない豆電球で遊ぶことにした。遊んでいたモーターから昆虫みたいな匂いがした。
豆電球には緑や赤の膜がついているのがあって透明のよりその色付きのに見入っていた。
お母さんは断続的に叫んでそれが終わると今度は泣いた。
見えないけれどお父さんはその横でなにも喋ってはいなかった。
こんなことを帰りの電車で思い出していた。
きょう最近入社してきた女の子とランチをしていたら突然金持ち自慢をし始めたのだった。
なんどかその娘とランチをしたことはあったのだがきょう突然セレブ自慢された。
私が消費税の話をしたのがまずかったのかも知れない。
物の値段が高いとか安いとかが分からない、何でも親に買ってもらっていて、友達も金持ちしかいないから働いていない友達が多くて、わたし周りからからなんで働いてるの?って言われるんだあ、と楽しそうにまくしたてられた。
私は一気にみじめな気持ちになり呼吸も浅くなって手足がしびれたようになった。
いい結婚相手が見つけられなかったら親に紹介してもらうんだ、ならまだしも、仮に結婚する相手の収入が悪くても親が生活費出してくれるから大丈夫なの、っていくらなんでも私に言うか?
この娘は私となんどかランチをしながらこの話を私には出来るなと思ったのだろうか。
一体私のどこを見込んだのだろう。
2、30円で高い安いを思ったり老後の心配してる私とこの娘は別世界のひとなのだ。
そういうひとが世の中にはいると思っていたけれどまさか一緒に働いているとは思わなかった。
午後からの仕事はランチのみじめさを引きずった。
手足はしびれたままだった。
帰りの電車でお母さんのことを思い出していた。
私は叫んだり泣いたりはしない。寝込んだりもしない。それは私が働いているからかも知れない。
人間ヒマだとろくなことしない、とは誰が言ってた言葉だったか。
電車のドアが開閉されるたび私みたいのやサラリーマンが乗車してきたり降りたりしていた。
そんなあたりまえの風景を見つめながらこのひとたちがあの娘の話を聞いたらどう思うだろうかと考えていた。
お母さんがなんどあんなふうになろうとその友達の家にいったのは何故だったんだろう。
もう大丈夫、もう心を騒がせない、それを確かめにいっては撃沈されていたのだろうか。
私はあの娘とまたランチをするのだろうか。
電車が停まった。人身事故のようだ。
お金のことかな、恋愛かな、それはないか、鬱かな、私はそんなことを一瞬考えひょっとするとあの娘が自殺したんじゃないかと妄想した。
妄想したらうらやましくなくなった。うらやましくなくなったら、うらやましかったんだ、とじぶんに声を掛けていた。
私はにやっと笑ってしまって、まだ残る手足のしびれを思い出していた。
夜お母さんが叫びだす。弟と豆電球で遊ぶ。お父さんはいびきがしないから起きているはずだ。豆電球で遊んでいるあいだじゅうずっと手足がしびれていた。朝になるとお父さんはいつも私に偉いなあと言って出て行った。
夕方帰宅してテレビを見ていたらふすまからお母さんが出て来た。お母さんが回復してきた兆しだった。
私はそれがなにかの終わりのような気がしてあまり嬉しくはなかった。でも弟と顔を見合わせてにやっとし合った。
電車が動き出した。アナウンスが謝っていた。
帰りは地下鉄ではなくて街の風景が見える電車で帰ることにしていた。
もういつもの電車だった。
悲しくも懐かしくも誰かをうらやましがったりも楽しいこともないいつもの電車だった。












自由詩 帰り道 Copyright 吉岡ペペロ 2015-01-16 08:07:52
notebook Home 戻る