エロビデオ屋での葛藤とレモンティー
瓜田タカヤ

モスバーガーのドライブスルーで、レモンティーを買って、車内で飲みながら
夜中、またしても東北電力へ電気料金を払いに車を走らせる。

レモンティーを注文する時というものは、32歳の駄目男にとっては
どこか恥ずかしげな寒い空気が肉体に粘着する。

小学生の時漠然とだが、喫茶店内でくつろぐと言う行為が
大人っぽいと思っていた。
その思いが未だあるって事は、大人っぽいという境界線内に、自分自身はまだ
入らない意識を持っているのだ。

まだ自分の事を(自分の思い描いた)大人だと思えていない幼稚さや渇望感
から来る、自分発自分着の一人完結羞恥心といった性質を
レモンティー注文は訴えているのかもしれない。

東北電力では結局、いつもの人がいなくて話の通じない人が応対してくれて
料金を支払うことができなかった。

その帰り道
夜中にジャスコの近くのデカイエロビデオ屋で
エロいビデオを物色していた。
その時、無表情の俺の目の前を三人の若い女が通り過ぎた。
彼女達は大人のおもちゃコーナーへ行き大人のおもちゃを物色していたのだ。

俺は彼女達が何を購入するのか気になって仕様が無かったんだが
彼女らのいるコーナーは入り口がひとつしかない部屋のようになっていて
もし俺が入っていくと、女3人と俺がひとつの空間で不思議な空気感を
存在しない神に披露してしまうことになってしまうであろう。

その空間内へと入るには何かしらの理由が必要なのだ。
大人のオモチャコーナーで理由付けをしなければならん
ならひとつしかない。

俺が何かダッチワイフでも物色しなければならなく
なってしまうじゃないか。
それとも箱に描かれた薬物中毒者のような女の顔の絵で、
口のところが切り取れるようになっていて「藤原ノリカの口」と
題された商品を手に取り、「うーん」と買うかどうか悩むしぐさをしながら、
その箱を下半身へとでもあてがったりしなければならないのか。

それは避けなければなるまいなあ。ちきしょー!と
不自然な怒りを覚えつつ、
女らを気にしながらも、知らない振りして露出もののコーナーを探していた。

店の奥まったところにそれらしいコーナーがあり物色してたが
それぞれの棚にはジャンル分けされたポップが張られていた。

熟女とかレイプとかね。そして俺は何気なく自分が今物色している棚を
チェックした時、衝撃がぬめった。そのポップにはなぜか「獣姦」
と誇らしげに印字されていたのであった!

俺は無表情でギョ!っとして周りの客らに俺が獣姦ものコーナーを棚の橋から
一本一本チェックしている姿を見られていたかもしれない。
と羞恥に身をよじった。
その棚はまだ整理中で、上半分が「犬と女」とかで、
下の棚に10本ほどの露出物が置いてあっただけであったのだ。

ある意味、大人のおもちゃコーナーでオナホールやローションなどを
選別するところを女らに見られるバツの悪さのほうが
面白さ的にはよかっただろう。
別の考え方をすれば、それは羞恥プレイとして、
非常にミラクルなシチュエーションだったのかも知れぬ。

しかし女らがそのコーナーから出てきたときに
熱が冷めた。一人の女が、もう一人の女にぎゃははといった感じで
笑いながら人目もはばからず
「アンタレイプ願望あるんでねえ?(あるんじゃない?)」
と言ったからだった。

やはり羞恥心が無ければならぬのだ。
暗部にあるどこか後ろめたいエロチシズムを共有しあう挙動がなければ
セックスはただの作業になってしまうでわないか。

羞恥とは自己の不完全性の葛藤だ。

精神性だけの愛と、肉体のみの性欲との間に位置する綱渡りの紐だ。

どちらか片方では駄目なのだ。
両方を所持し、何とかバランスをとりながら
愛しい君と一体化する了承を得たいのだ。

と女らに対して、自分勝手な無理やり針の穴を通そうとした哲学を
自分の頭内で披露するのも、さすが子持ちなのに
深夜エロビデオ何時間も探しまくってるだけあって馬鹿だなあと
微妙自己嫌悪に陥った。

しかしそれでもさらに
そんなデリカシーの無い女達に、テキトウにいじめられるのも屈辱的で
興奮するかも。と、自分の考察をまたしても無理やり女達の考え方に
合わせようとしてまで、何かエロいイベントが起きてもいいように精神的に
準備をしている俺もさりげなくいて駄目加減満載。

女らに声をかけて「僕のオナニー見てください!」って頼んで
その望みがかなったりしたら、

その時はレモンティーも普通に注文できるようになるのカシラン。


散文(批評随筆小説等) エロビデオ屋での葛藤とレモンティー Copyright 瓜田タカヤ 2005-02-03 03:19:16
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