なまえを呼ぶ。
AquArium

名前を呼んで欲しい、
たったそれだけの欲が
この先の安定を不安定なものにしていくことが分かっているから、ずっと黙っていたんだ

(源氏名さえも
入店の指名時にしか呼ばれたことないんだから。)


「そっち」とか「ねえ?」という言葉で
お互いを確認するくらいの距離でいたのに
この前あたしを抱いたとき急に名前を呼んでくれたもんだから
心臓が、少しキュッとなった



憎い



壁ドン、頭ポンなんかが流行ってるって
家に置いてた女性誌見ながら
「それはないだろ」だとか、
「これがきゅんとする」だとか意味のない会話が
どれだけ楽しいものであるのかを
きっとあなたは気づいていなくて

(ほんとうにだいすきな人が誰なのか
自分でわかっていればそれでいい
悪いことをしているだなんて考えた時点で終了することくらい
賢いあなたなら分かっているはずで、)


遊び人の携帯には絶え間なくLINEが入り
たまには席を外して電話をするあなたの目に浮かぶのは誰なんだろう?
…そんな思考が一瞬でも過ぎったあたしは馬鹿だな


誰?
なんの電話?
なんて一言も聞かないのに
かくかくしかじかでトラブルで
仕事の電話だったっていうのは
それだけで自らの嘘を露呈しているようなものだよ。
それが事実であろうと、
あたしにとっての優しい嘘であろうと、
どちらでもいいけれど。


2軒目を後にして乗り込んだタクシー
もうお腹は十分に満たされているのに
「腹減ったな?」と言うあなたは、
まだ帰りたくないんだろう


本当はもたれ掛かりたかった
遠慮してしまう自分の小ささに腹を立てている間に
タクシーは順調に家の前に止まっていて
勝手に目的地を決めたあなたを睨んでみたけど


あたしも、
まだ
あなたと
いたかった



小さめのバスタブに浸かる
水はいつもの2/3くらいでよかったのに
一人暮らしの癖でいつも通りに溜めてしまったから
溢れ出ていくお湯に生温い愛を感じて
左後ろを向いて、そっと、目を、閉じた


ー指先がふやけていくー


限りなく近づける場所は
狭い狭い
あたしの家


気づけば太くて硬いあなたの胸に
耳があたって心臓の音を聴く
瞼には吐息がかかっている

あなたは3回
あたしの名前を囁いた
うん、って声にならない声で応えたとき
込み上げたのは寂しさなのか嬉しさなのか
分からなくなって
ただあなたをズルイと思った

どうせすぐ脱いでしまうのなら
最初から部屋着貸してなんて
言わなければいいのに、
またあなたの匂いを覚えてしまうじゃない

悔しいくらい温かくて柔らかい唇に触れて
今夜もまた、
あなたを上書きしていく。




**
あたしのだいすきな人の話を
面倒くさそうにしながらも笑って受け止めてくれるあなたと

あなたの守るべき人の話を
1ミリの嫉妬心を持たずに無邪気に聞いているあたしの


間に流れるものはありますか?


あたしは一度も
あなたの名前を呼んだことはない。


自由詩 なまえを呼ぶ。 Copyright AquArium 2014-12-22 00:05:43
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