理科の先生の「あだ名」の思い出
木葉 揺

学校で習う言葉が専門性を増すごとに印象深くなるのは、マニアックな人間だけだろうか。
小学、中学、高校・・・と、だんだん馴染みのない言葉が増えてきます。また、それに比例するかのように先生の個性が強くなってくる。専門的な用語が流れるか根付くかは、実は先生の個性ではないかと思います。
 私が高校一年のクラスでは、「リダクション」という言葉がブームを巻き起こしました。他人が聞けばおもしろくもなんともない言葉が流行ったのは言うまでもなく、その時の生物の先生の言い方がおかしかったからでしょう。先生は覚えて欲しい言葉に力がこもります。特に理科の先生は研究者肌で、普段黙々としてるのに急に特に好きな部分になると、人が変わったようにエネルギーがほとばしる!それが生徒たちから見ると、突然何かが宿ったように見えて驚き、また普通に戻っていく姿に笑いが起こります。理科の先生は純粋です。「なぜ笑う?」と驚く先生もいるけど、中には「理科のおもしろさをわかってくれたか!」と勘違いして微笑んでいる先生もいました。
こういう事件が会った日は休み時間はモノマネ大会。それが新学期なら間違いなく「聞きなれない専門用語」と「そのときの先生の顔」が、ピッタリとマッチングしてしまい、名前よりも先に「あだ名」として定着してゆく。中学の時、クラブの後輩の会話で、「え?誰が?リボルバー?」と言ってるのを聞いて、『あ〜、顕微鏡のシーズンか〜!あの先生か〜!』と一人で脱力していたことがありました。
 それとは反対に、中学三年の時の担任の理科の先生は、どんな専門用語もかき消して、ごく一般的なあだ名がつけられてしまった。おそらく全国あだ名ランキングの上位にくるだろう・・・「ゴリ」というあだ名。見た目の印象が専門用語に勝ってしまった悲しい例。私たちのゴリは今思えば愛嬌のあるほうでした。ドランクドラゴンの塚地くんを、もう少しギョロ目にした感じ。。。
 やはりゴリも純粋でした。自分では「ゴリ」とは思っていなかったらしい。ああ、なのに・・・。誰かが書いてしまいました。教室の鍵についてる「3−6」という札の後ろ、マジックで札いっぱいに「ゴリ」と。何日かして、穏やかだが何か憂いが漂うゴリが教室に入ってきました。静かにゴリは話し始めました。
 「中村先生にも『どうしたんですか、元気ないですよ』言われてんな。今日もな、ガンバロウ思って・・・来てんけどな・・・・・・・何やこれ。」
 私はその絶妙のタイミングを忘れません。「ゴリ」と書かれた札をかざした哀愁に満ちたゴリの表情・・・クラスの誰一人として凝視することはできませんでした。
 このように書いてると、たいへん楽しいクラスだったように感じますが、実際は8クラス中、最も地味でした。合唱コンクールでは、ヤンキーっぽい子たちが急に団結して、見事な合唱を披露したクラスもあったのに対して、そこそこ授業もちゃんとでるくらい真面目な生徒たちだけど半分以上も歌わない、という感じでした。卒業アルバムも、各クラス絵の得意な子が、全員の似顔絵を描いたりして華やかに飾ってる中、私のクラスでは誰も何も描かず、ゴリが描いた絵にしぶしぶ寄せ書きしました。
 今思うと、「ゴリ、可哀想やったなぁ。一生懸命やったなぁ」と思います。当時は、「ゴリがやんちゃな生徒たちを扱うのが不得意で、大人しい生徒だけでクラス固めた」というような噂が流れました。「大人しい」って意外とタチが悪いと、ゴリは知ったことでしょう。
ゴリの偉かったところは、最後には教師として「ゴリ」というあだ名を受け入れたところです。卒業前、3学期に突然ゴリは結婚しました。(奥さんは松坂慶子に似てるらしい)。そのときだけかなぁ、みんなでゴリのために何かしたって。色紙にお祝いのメッセージ書いて渡したら、ゴリ本当に幸せそうでしたよ。
色紙の中央にはでっかく「ゴリちゃんへ」って書いてあったけどね。


散文(批評随筆小説等) 理科の先生の「あだ名」の思い出 Copyright 木葉 揺 2005-02-02 21:22:50
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