ありがとう
葉leaf




柿の木が衰えと実りとを同時に示し始めた。枯れ落ちていく葉と熟していく実、そして樹幹を這い登っていき鮮やかに紅葉する蔦。台風がしばしばやって来ては大気をどんどん冬に近づけていき、台風に触発されたかのように風の強い日がたまに訪れた。日に日に寒くなる中、シャツ一枚だったのがスーツを着るようになり、さらには内側にカーディガンを羽織るようになる。朝夕の通勤時は特に気温が低いので、手袋も必要になる。炬燵テーブルも布団を掛けられてもはや立派な炬燵となり、私は炬燵でゆっくりハーブティーを飲みながら、通勤前の真っ白な時間を過ごしていた。

とたん、私には感傷の発作がやって来て、それはすべてのものに「ありがとう」と言いたい、という気持ちの綻びだった。私は驚いた、なぜなら私の感傷はこれまで「ああ苦しい人生だった」とか「結局自分は愛に飢えている」とか「世の不良少年を愛す」といった類のものであり、悲しみではあれ決して感謝などといった向日性の感傷はなかったからだ。他人の厚意に感激することはあっても、それは相手に対する反応であって、このように不条理に湧いてくる感傷が感謝の装いをとったのは初めてのことだった。

不条理に湧いてくる感傷が、自己中心的な悲しみではなく、他者や社会と一体をなす感謝となったことは、私の根源の変化なのか、或いは私の意識の変化なのか。名付けられぬ不条理な感傷が初めから他者の思いやりを巻き込んで生起したのか、或いは不条理な感傷を名づける意識の次元で他者の思いやりが挿入されたのか、それは分からない。だが、このように季節が凍えと闇に向かっている中、私の内面は逆に人と人との連合の中で醸成される温かい好意のやり取りで満たされていっていることが私には驚きであった。季節が春から冬に向かい、人を取り巻く環境が厳しくなっていく中、私の内部には他者や社会とのやりとりが膨大に蓄積されていき、それは徐々に熱を増してついに私に「ありがとう」と言わしめた。春に社会に出て初めての冬を迎える私に訪れたのは、孤独でも悲しみでもなく、有り余るほど降り注いでくる人々の声やしぐさと共に生きていく証である「ありがとう」とう感謝だったのだ。


自由詩 ありがとう Copyright 葉leaf 2014-11-03 13:01:30
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