正座 / 想い出した情景
beebee

子供のころ
父の話を聴く時は正座をさせられた
兄弟で並んで正座した
肩こりの父親の肩をもむ時も正座していた


母方の親戚の葬儀の時
肩が凝ったと言い出した父を
正座をして身体を揉んだ
長兄が肩を、次兄が手を、
私が小腿を揉んだ


東京出身で大学出の父は
奈良の母の田舎に世話になっていたこともあったが
自意識が強く
大阪の商社の秘書だったこともあって
母方の親戚の中では特異な存在だった


遠目に見ていた母方の親戚の人たちが
良く教育されていると
良い子たちだねと
口々に言ったのを想い出す


私たちは本当に良い子だったのか
私はいつも心の半分を閉ざし
体を動かしていた
兄達はどうだったろう
良く分からないが
自分には父権社会のDNAが刻まれている


父の葬儀の時
自分の子供達が正座しているのを見た
その時何かが足りない気がした
厳粛な表情や
年長者への敬意
新しい家族秩序への不安?
みんなあって
誰が見ても葬儀の席のひとコマの情景だ


いわれなき服従への反発?
恐れ敬うべき存在の不足?
それは正座じゃないんだよ
そこには喪失感もあって
自分が住み慣れた生活の終わりに
一つの区切りじゃない郷愁もあった


自分は何を言うべきなのか
自分は何を伝えるべきなのか
そんな言葉が浮かんで
ニヤリと笑った


とても伝えられない時間と生活と
想いの積み重ねを
どう伝えれば良いのだろう
自分には父親のような権威も強制も
生き方もない
ただ父親の前で正座していた姿を
過ごした時代と時間を想った







自由詩 正座 / 想い出した情景 Copyright beebee 2014-10-20 07:45:06
notebook Home 戻る