七年目のグノシエンヌ
もっぷ


その日ぼくは一人称を失うために身投げした。自我を持たな
い想いだけが純粋であり得るから「得た経験はみな繋がれて
いる、輝けるという常套の科白を盲信し、原石だったぼくは
自らを気前よく穢れた雑巾の為すがままに任せることを選び、
待っていたのはいったいどんな可能性だった」骨へのみちの
りを他者に実行されるその直前に(軽く齧っただけの経験だ
けど狡くて好きにはなれなかった。でもただ救いだったのは
その向こうをまだ知らないことだった。みえないから言葉は
いくらでもつかえたし、さがすことだって容易だった。つい
でにこれは告白だけど好きだったんだ、愛/では/ない/が
)ほんとうはほんとうは
ほんとうはほんとう
はほんとうは「



   #



きみ」だけが夜の海に映っている「安寧色の靴を履いている
」かなしみだけを覚えている。かなしみだけを感じている「
存在していた頃の記憶に具体性は消えていた、それを求めて
いたというのは本心だろうか、会いたい、会いたい、きみに
会うということの意味を無が考えている姿を想像してみる」
きみだけが映っている夜の海に埋葬された結果論が今夜の月
をみつめているまなざしは限りなく自我から遠ざかることが
できているか。語る場合にどうしても葦になりたいという望
みから逃れきれない。偉大ではない尊厳などは欲していない
と誓うことは容易い。と誓うこともできる。けれどそこには
。ほんとうにほんとうに
ほんとうにほんとう
にほんとうに「



   #



ぼく」は消滅できているか「ただしく導かれたのか教えてよ
」さみしみだけを感じている。さみしみだけを覚えている「
存在していた頃の夢があまりに鮮明でとても苦しい、光りを
赦してください、愛ってなんだろう、愛ではないとさざなみ
にささやく無はその声をどこから得ているのだろう、永遠」
などまぼろしにすぎない。思惟の結果たどりついた解を抱き
しめてやはり葦にならずに語るべき言葉が愛だったという「
結果論が泣いています、もう帰ることはできない、一人称を
持っていた頃に、カシオ、カシオ、刻んでくれてありがとう、
ぼく、だった日日を」愛してた。愛してる。ついに証明した
。さようならさようなら
きみとそして「
ぼく」





自由詩 七年目のグノシエンヌ Copyright もっぷ 2014-10-14 21:42:29
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