いちばんの孤独
佐伯黒子

キャンドルに灯をともして、意味のあることやないことを語り合うような夜が欲しかった。

オレンジ色の光のそばで浮かぶ顔を、その顔を、目に焼き付けるまで見つめていたかった。

彼にはいつもそんな時間はなかった。常に仕事に追われ、一息つく間もなく次、一息つく間もなく次、ずっとそういう印象だった。余裕のない姿をよく覚えている。辛い夜にやってきて、ただ一緒に横になるだけの日が続いたことも。その多忙さはまともな状態ではないのかもしれないが、私たちにとってそれは疑いもなく日常だった。

毎日、毎日、すぐやってくる。数時間前に思ったことがあっても、その数時間後はすぐやってくる。明日はすぐにやってくる。いくつものことを忘れる。しばらくしてその状態を思い知り、渋々手を出す。他のことは進んでいない。でも確かに言えることは、彼はその中でもよくうちにやってきたと思う。顔を見ない日があれば不安になるほどに。私の日常はそうやって、更新されることもなくカレンダー通りにすぎていた。そして彼にはいつも、時間がなかった。

昨日は深夜の一時に久しぶりにひとりで外を歩いた。公園の大きな池に沈みかけの半月が大きく光っていた。とても優しくてさびしい姿をしていたその月は、歩いても歩いても私を見ていた。10月上旬の夜はすでに寒く、台風が近づいて来ているのか風が妙に強い。木々が揺れ、湖面がざわつき、早く家に戻らなきゃと思った。でもその半月だけは、本当に不思議なくらい静かで、「ああ、月には風が吹かないよね」と、とても当たり前のことをつぶやいて、地球の外側のことを少しだけ考えた。

深夜にひとりで考えることが多くなったような気がする。毎日三食食事をすることが難しい日が続く。そもそも三食、というルールはどこから始まったのだろう。モーニング・ランチ・ディナーという名前をつけた人は、いったいどれくらい昔に生きていた人間なのだろう。キャンドルを見つめ、ビタミンを摂らなきゃいけないとか、野菜が不足しているとか、そういうことを考えて人が食事をしているのは人類史の中でどれくらいの割合なのだろうと考える。

長く生きる、病気をしない、早寝早起きをする、いつまでも健康で、健やかでさわやかな毎日、それを手にするために色々なことを犠牲にする。例えばひとりで老いる孤独感や、生きていくために必要な生活費・医療費等を得るための辛い労働や、社会システムの中でやらねばならない面倒な手続き。それよりも果たして、長生きや健康は恵まれているのだろうか。こういうことを考えている私は、いま少しずつ自殺をしているところなのだろうか。

今夜も彼は来るのだろうか。

いつもそばにいるはずなのに、私はいちばん孤独のような気がした。

同時に、私の中でいちばん孤独な私が、いちばん好きだった。


散文(批評随筆小説等) いちばんの孤独 Copyright 佐伯黒子 2014-10-05 23:44:14
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