社会美
葉leaf
私と社会との出会いは単純なものだった。大学で幅広く社会科学を学んだので、そこで自動的に社会の仕組みや社会の出来事に興味を抱いたのだった。人が集団をなして生産活動を行っていく中で、どのような体系が出来上がっていくかについて、社会科学は様々な角度から説明してくれた。政治学は力のせめぎ合いを、法学は規範の集合を、社会学は人間のつながりを、経済学は生産と消費を、見事な体系で説明してくれた。それはひとつの哲学体系のように整然と整理され、一つの精密機械のように精巧で精緻だった。私はこの理論でもって体系的に整然と構成される社会を美しいと思った。数学の鮮やかな証明が美しいのと同じように、あるいは雪の結晶の幾何学模様が美しいのと同じように。社会は美しく精緻な理論体系であり、しかもそれは我々の生きる現実そのものでもあった。
私と社会との出会いは単純なものだった。会社で働き始めて、忙しく仕事をこなした帰り道、多くの人の群れを眺めながら、自分はこの社会の大きな海の中で動いているんだ、という実感にとらわれたのだった。社会は、自分などがその全容をつかむこともできないような大海であり、一人一人の働きによって様々なうねりや渦が作り出され、洋々と日差しを浴びて波打っている。私はその大海のうねりの中に飲みこまれる快楽に浸ったのだった。こんな風に大規模に自分を包み込み波立っていく社会を私は美しいと思った。社会は一つの宇宙のように謎に満ちた果てしない広がりであり、それでありながら我々一人一人にじかに接してくる感覚的に快いものだった。この途方もない宇宙の銀河の動きは壮大な美しさを備え、私はその中の一つの恒星として、動き続ける永遠に翻弄されるがままに夢中になった。